もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第326回
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 公演日時: 平成17年10月10日(月祝) 午後6時30分開演
  出演者      演目
 桂   文 鹿  「十徳」
 桂   三 若  「カルシウム不足夫婦」
 林家  染 二  「湯屋番」
 笑福亭 仁 扇  「上燗屋」
  中入
 露の  新 治  「権兵衛狸」
 笑福亭 鶴 志  「高津の富」(主任)

   打出し 21時05分

     お囃子  林家和女
     手 伝  笑福亭智之介、桂三之助、笑福亭呂竹

 2005年もあと3ケ月を残すだけとなった十月の公演を迎えました。前景気も好調で当日を迎えることとなりました。当日は折悪しく雨模様。お足元のお悪い中、当日は、いつも通り開場を前に長い列が出来る。五時過ぎから多く届いているチラシ(今回も多い)の折り込みを開始して、多くのお客様が列を作られ開場を待ちわびる中、5時半の定刻を5分早めてに開場。列を作り待っておられたお客様がご入場され、席が次々と埋まっていく。六時半の開演時間には客席はほぼ満席。
その公演のトップバッターは、文福一門から桂文鹿師。同期生の多い平成6年入門組(三若・都んぼ・春菜・福矢・文鹿・かい枝・三金・染弥・吉弥)は、これで全員当席への出演となった。
 師匠のお供で当席は慣れたもの。「今日は嬉しいですわ」と、一番に楽屋入りし、高座に昇ったり、太鼓を準備したりと余念がない。
 準備万全の中、『石段』の出囃子で登場。「えー、いっぱいのお客様でございまして、まずは(横のメクリを指して)ブンロクと読みます」と挨拶。
まず、噺家の高座着の値段のマクラ。「大師匠クラスは百万以上の着物ですわ。私のは九十五万」。
さらに、「この着物、蘇州で買ったチャイナドレスで滑ります」と笑いを誘う。
 さらに、着物の話題を続けて、始まった演題は、大師匠(文枝)から一門に伝わる『十徳』の一席。
前座噺の代表のような噺を基本に忠実に演じる。
 マクラともで15分の高座であった。
演題にもなっている十徳は、丈は短くて羽織に似ている男子の上着の一種で鎌倉末期から用いられ、江戸時代には医師や茶人などの礼服である。
 二つ目は、三枝一門から桂三若師。この師も神戸出身であり、当席へは三度目の出演。今回も師匠譲りの切り口の鋭い創作落語をお楽しみにされておられるお客様の拍手に迎えられて高座へ登場。
「えー、どうも皆様、本日はようこそお越し下さいましてありがとうございます。続きまして、私が寝起きの東幹久、桂三若です」「こう見えましても私、お坊ちゃまでして、今住んでおりますのが阪急沿線の閑静な高級住宅地で、・・・十三」。「落語家は日本一運動しない職業で、あそこからここまで歩ければ良いと訳で・・・」と、ツカミの笑い
 続いてスポーツジムでの出来事を大阪のおばちゃんを中心に描く。
プールでは泳がず、みんな歩いているとか、大阪は面白い、日本一自己中心的と、マクラを振って会場全体を笑いを誘う。
 そして、怒っている大阪人のマクラへと続き、自作の創作落語が始まる。
ちょっとしたことに腹をたてている夫婦の会話で綴る、題して『カルシウム不足夫婦』。
マクラを含めて15分の口演は、現代感覚に溢れ、テンポもある秀作であった。
三つ目は林家一門から林家染二師。
出番前に「ここんとこ『七段目』多いですねぇ」と、感想を残して、師匠譲りの『藤娘』の出囃子で元気いっぱいの登場。今回も師匠直伝に自らのパワーを注入した上方古典落語の十八番の中から今回は何を?と、期待したいものです。
「えー、いっぱいでございましてありがとうございます。今日は我が一門にとりましては特別の日でして、師匠の誕生日でございます。」さらに、「私のほうは上方落語界の中村橋の助と呼ばれております。またの名を大澄賢也、または周富徳とも呼ばれております」とツカミから再び、太目の師匠の奥さんのダイエットの模様を面白おかしくマクラに使って、続いて芝居の話題。
 そして始まった演題は『湯屋番』。
師匠の十八番であるので、再演かと思って調べると、当席では初演。
手慣れた噺を随所に手を加えて、いつもながらのパワフルな口演は最初から全開。それに答えるように客席も爆笑の連続。
いつもながら見事な染二ワールドであった。
 そして、中トリは久々の登場となった笑福亭仁扇師匠。いつまでも若々しい師匠。久々の出演とあって大張り切りです。大いに期待したいものです。
「えー、ここへは初めての出演でございます」と、あいさつするがこれは間違いで、平成3年9月の第161回公演で『へっつい盗人』演じられたのが初出演であり、今回は二回目の出演となる。
 まず、入門しての芸名が決まった時の秘話。「二人揃って入門を許され、まず決まった芸名は、仁の一時につばめで、仁燕(にえん)ですわ。安い名前やと思とったら私、仁扇(にせん)ですわ。師匠に言いましてん、『せめて、あとに万円付けて、仁扇万円』。その前に、師匠は『お前は顔が黒いから仁黒』こんな名前ではどこも出られません。『顔が丸いから仁豆』、ええかげんでっせ、極め付きは『仁丹』、師匠からはこれはええと一押しでした」と笑いを誘う。
そして、酒が一滴も飲めなかった新弟子時代から一転飲めるようにようになってからは、家へ帰りたくなくなったことを紹介して、上戸のマクラを振って、始まった演題は『上燗屋』の一席。
上燗屋で、ぐづぐづ言って飲んだ後のサゲは、道具屋で仕込み杖を買い求めて、盗人の首を着る『首提灯』ではなく、橋の上寝ている男を斬ったつもりが叩いていた『試し切り』のサゲであった。
 中入りカブリは、五郎一門から露の新治師匠。
楽屋入りしてもいつも通りニコニコ。いかにも落語を演じるのが嬉しくてたまらないといった様子。
中入りシャギリの後、ご陽気な『金比羅船』の出囃子で舞台にちょこっと顔を見せると会場のあちこちから声が掛かる。ファンがお待ちかね。
 発端からサゲまで25分の高座は『ごんべい狸』のお馴染みの一席。
しかし、この師匠の手に掛かると実に見事な一席の逸品になる。マクラかなと思ったら、本題へ、再び脱線して話が逸れる。その実に見事に練りに練られた一席なのだが、そう聞かせない処がまた見事。文章で表現出来ないのが残念な一席であった。
・・・新治師匠のHPから引用させていただきました・・・
伝統の恋雅亭(れんがてい)に、久しぶりに出して貰いました。お客もいいし、たくさん入り、咄家にとってありがたい寄席です。表には提灯も吊られ寄席情緒もたっぷりです。会場は、風月堂ホール。
楽しみは、出番前に二階に上がって食べるホットケーキ。たかがホットケーキ、されどホットケーキという見事さです。師匠、露の五郎はこれが大好物です。カバンを持って付いてくると、必ず食べさせてくれました。おかげでホットケーキに目覚めました。東京上野の風月堂にも連れていって貰いました。東京にはもう一軒、神田のフルーツ屋のホットケーキが絶品でした。あと神戸の元町にもう一軒。感激のホットケーキがあります。
 番組は・・・(中略)・・・。ほんまにいいお客さまでした。
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さて、十月公演のトリは、お待たせいたしました。笑福亭鶴志師匠です。
福笑・呂鶴・仁智・鶴志・鶴瓶と当席での笑福亭一門のトリが続きます。この師匠は豪放磊落。最も六代目師匠に似ている芸風を満載し、初めてで遅すぎた位のトリの重責を果たすべく大張り切りです。
会場入りされても上機嫌。仁扇、新治師匠らと楽屋で談笑。
 そして、敬愛してやまない六代目師匠の出囃子『船行き』をアレンジした『船行きくずし』で登場。
「えー、私、もう一席で・・・」とあいさつ。たくさんのお客様への御礼。
そして、始まったマクラは、松鶴師匠の運転手時代の逸話。「渋滞の高速道路を救急車のすぐ後ろを追走」「立ち入り禁止の道路に進入して警察官に『松鶴だ』」など、実に楽しそうに師匠も客席も酔いしれる。二十年以上も昔に亡くなられているにもかかわらず昨日のよう。
「えー、何をししょうかと迷っておりまして・・・。お馴染みの処で、えー、運は天から家宝は寝て待てとか申しまして・・・」と、始まった演題は師匠直伝の『高津の富』(当席では5度目)。多くの師匠の十八番の中の十八番と言っても過言ではない。
 小生も最後列で聞かせて頂いたが、六代目を思わせるような出来、特に、ちょっと頭を下げた形は六代目が乗り移ったよう(松鶴師匠は昭和56年の37回公演で演じられた)。
実に見事にキッチリ力を込めて演じられた25分(マクラ共で40分)であった。
 師匠直伝であるので、言葉もそのままである。
ちょっと紹介すると、「たんと」「きこんかい」「置こ」「てんご」「やまこ」「おちょやん」「ひじめる」など。
この噺、よく出来ている部分がある、主人公が宿屋へ上がる時に、雪駄を履いているので足は汚れていないとすすぎを断る。これが25分後のサゲになる点など数え上げたらキリがない。