もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第322回
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 公演日時: 平成17年 6月10日(日) 午後6時30分開演
   出演者     演目
   桂    都んぼ 「兵庫舟」
   笑福亭 鶴 二 「二十四孝」
   桂   楽 珍 「宿替え」
   笑福亭 仁 鶴 「壷算」
    中入
   露の  團 六 「近日息子」
   桂   小 米 「上方見物」(主任)

    打出し 21時10分

    お囃子  山沢由江、勝 正子
    手 伝 笑福亭小つる・三喬、露の楓・團姫、桂阿か枝・佐ん吉。

 2005年も絶好調の当席、昨年十二月からの大入公演も、五月公演で大入連続記録は 6。
そして、六月公演を迎えました。前月の五月公演同様、前評判は絶好調。六月に入って前売券も売り切れ。その後、事務局の電話が鳴り止まない状態で当日を迎える。台風も当日、関西直撃予想が大きく外れて、開場を前に長い列が出来る。多くのお客様が列を作られ開場を待ちわびる中、開場は五時二十五分。
 列を作り待っておられた多くのお客様がご入場され、席が次々と埋まっていき、六時過ぎには客席は埋まってしまう。その後「立ち見でも」とのお客様が入場され、開演時間には、客席は立ち見が出る大入満席(昨年十二月から7公演連続の大入)。会員様とお連れ様さまも過去最高の百十名様となる。

 その公演のトップバッターは、都丸門下から桂都んぼ師。
入門九年で、師匠譲りの落語に熱心に取り組む勉強家で各地の落語会で大活躍中の師で、当席への出演を心待ちにしていたとあって、おお張りきり。早くから楽屋入りし、「私、忘れられてんのかと思ってました。同期や後輩が、どんどん出てるのに・・・。でも嬉しいですわ。」「すみません、別に理由はないんですが、申し訳ない」と平謝り。それだけ、若手での当席への思い入れが大きいのはありがたい限りである。

  ・・・恋雅亭 よもやま噺(トップの出演者)・・・・

 出演済の師匠連
  平成六年:都んぼ・三若・春菜・福矢・かい枝・三金・染弥・吉弥
  平成七年:竹丸・紅雀・よね吉
  平成八年:阿か枝・染左
  平成十年:しん吉・たま・喬若

 未出演の師匠連
  文鹿(六年)、三ノ助(七年)、八光・壱之輔(八年)、三弥・歌々志・由瓶(九年)、笑丸・風喬(十年)

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 『石段』の出囃子に乗って、大入りの客席の拍手に迎えられて高座へ登場した都んぼ師「えー、一杯のお客様でございまして・・・私ら若手の会では、こんな一杯のお客様の前でやることはまれでございまして、こないだも七十名様くらい入る会場で落語会がありまして、顔上げたら三名てなことがございまして、目のやり場に困りますたわ・・・。」と、簡単にマクラを振って「まずは旅のお噺を」と始まった演題は『兵庫船』。この噺を基本に忠実に国所(くにところ)の訊ねあいから謎かけで大きな笑いを誘る。18分の高座で再演を期待する拍手に送られてトップの重責を果たした師であった。

 二つ目は、松鶴一門の末弟・笑福亭鶴ニ師。梅團治師と開いている「須磨寺寄席」で鍛えた力量をもって笑福亭の豪放磊落な一席を楽しみされているお客様の拍手と、『独楽』の出囃子に乗って登場。
「えー、大入り満員のお客様でありがたい限りでございます。後、横まで一杯立っていただきまして申し訳ないなぁちゅうて楽屋で言うてますねん。なんで、もっと早よう来てくれたらええのに(会場大爆笑)・・・・。
 暑いですから、今日は何を着るか迷いまして選らんで着てきた着物ですが、楽屋はええこと言いませんなぁ。『鶴ニ、ええ着物やなぁ、そのアケボノの鯖の缶詰の色みたいな着物』やて、ひどいと思いませんか」と、笑いを誘って、さらに頼まれて落語に行った時の話で爆笑を誘い始まった演題は『二十四孝』。東京ではお馴染みの噺であるが、上方では珍しい噺の部類である。 その噺を上方弁で「根問物」のように二人の会話で紹介し、中にクスグリを混ぜて、笑いと仕込みをし、後半の言い違いで爆笑を誘う。

 ちなみに、この「二十四孝」をネットで、調べて見ると郭巨(かっきょ)、孟宗(もうそう)、呉猛(ごもう)、王祥(おーしょう)をはじめとして虞舜、漢文帝、曾参、閔損、仲由、董永、エン子、江革、陸績、唐夫人、楊香、朱寿昌、ユ黔婁、老莱子、蔡順、黄香、姜詩、王褒、丁蘭、黄庭堅の二十四人である。

 三つ目は文珍一門の筆頭・桂楽珍師。「文珍・南光・鶴瓶の三師匠のしごきの会」にも耐える実力を備え、満を持しての登場となりました。
 「どうでした。しごきの会」「緊張しました。けど、大勢のお客様の前でトリをとれて嬉しかったですわ」と小生と会話を交わして、『ワイド節』の囃子に乗って高座へ。「えー、続きましてもテレビで見たことの無い顔でございまして、お目当ての仁鶴師匠はこの次でございまして、ビデオやったら、おそらく私なんか早送りでございます。もっとも生ですからそんなわけにはいきませんが・・・・。」と、ツカミの話題からお馴染みの徳之島のカナブンばあちゃんの近況で笑いを誘って、娘の入籍・出産の話題へ。「許さないとしゃあないから許すけど、子供(孫)の名前はおじいちゃん(楽珍師)が付ける。ちゅうて、楽子(らっこ)。珍子(ちんこ)と言ったのですが・・」
 そして、始まった演題は『宿替え』。
実に落語らしい噺であり、多くの演者の名演がある。楽珍師の高座も実に高レベルの出来で、発端からサゲまで自身のイメージとあいまった口演には笑いが絶えない。
 サゲは、この噺の別名の『我忘れ』の「親を忘れるなんてなんでもない、酒を飲むと我を忘れます」ではなく、「ここまで箒かけに来るのは大変」であった。

 そして、会場全員が待ちわびた仁鶴師匠の登場となる。

 そして、中トリは上方落語界の重鎮・笑福亭仁鶴師匠。「ここはええわ」と、年に一度は必ず出演していただける師匠で、。今回も重厚でゆったりとした語りの高座が期待できそう。
 いつもながら、ご機嫌で楽屋入りした師匠、「今度、本のサイン会すんねんけど、緊張するで慣れてないから。あの本(仁鶴湯)やけど、たいしたこと書いてないで。昔、あったあったと思てもろたらええんや」と、饒舌。

 春駒師匠が「今度、『質屋蔵』やらしてもらいます」に対して、「結構やねぇ、あの噺、怒鳴ったらあかんで、語るねん。それと、最初から声を張ったら絶対あかん。声の張りを後半までもたさなあかん。長丁場やで。それと、ネタ下し(最初に演じること)の会場は狭いところでやりや。」と、ポイントをついたアドバイス。

 高座着に着替えながら「この着物、ええ麻やで、二十年前に買うたんや、今はこんなん売ってないわ。薄いから楽やし、後で霧吹いといたらピリッともならへんしなぁ」。
 そして、出囃子が鳴ると「えーと、今、ガソリンなんぼやったかなぁ?」と訊ねて、『猩々くずし』で高座へ。
「えー、ここ二、三日、猛暑、暑い日が続きます。夏(あつ)いなぁ。夏日、茄子(夏日)の漬物(会場大爆笑)。こんなことばっかり言うてまんねん」と、仁鶴ワールド全開。
 そして、水の話から無くなったものの話題へ。「えー、まな板が無い家があると聞いてビックリしてまんねん。買い物へ行ってもキャベツなんか切って売ってますなぁ。千里中央で買い物に嫁はんに『ジャマなるなぁ!』言われながら、付いて行ったら、男は慣れてないから歩き方がブサイクらしい、ええねん、もう・・・・。」と、ホンワカ、ユッタリした話芸に会場は、クスクス、爆笑の連続。『壷の病気』、お馴染みの小噺の反応に「あっ、これで今日のお客さんの層、判るわ」と、場内の反応も見事に笑いに変る。
 会場を充分暖めた後、始まった本題は、仁鶴十八番の『壷算』。手馴れた噺であり、充分暖まった客席の感触を楽しむように、噺は進んでいく。師匠の言葉通り、発端からサゲまでホンワカ、ホンワカした34分であった。

 中入りとなった会場では手伝いにきておられた笑福亭三喬師匠が上方落語協会誌「んなあほな・第三号」が販売。飛ぶように売れていた。

 中入りカブリは、五郎一門から露の團六師。
当席では常連の師匠、師匠直伝の持ちネタには自身の工夫が満載された演題は神戸(板宿)の会でもお馴染み。今回も初代春團治、五郎師匠も使われた『かじや』の出囃子で高座へ登場。
 「えー久々の恋雅亭でございまして、一年半ぶりとなります」と、挨拶しご自身の娘さんに変態よばわりされた『体操着事件』で、笑いをとって始まった演題は、初代、二代目春團治、そして五郎師匠と続く春團治家のオハコ『近日息子』。
 随所によき先輩のエエ息を彷彿とさせる名演で客席を笑いの渦に巻き込んでサゲとなった。

 さて、六月公演のトリは米朝一門から桂小米師匠にとって頂きます。
『都鳥』の出囃子でヨッコラショといった感じで座布団に座る。元気が無いように見えたが、その理由はマクラで、心配は口演で見事に解消される。
 「えー、肝臓は悪いし、血圧は高い、と体の調子が思わしくありません。それに骨が腐る『大腿骨董壊死(だいたいこっとうえし)』てな、難病になりまして・・・」と、病気を米朝師匠に報告し、アドバイスをもらって、医者に怒られた話題で会場を大爆笑に包み込む(文章にするのは大変難しいが、人間国宝のとんでもないアドバイスのネタ)。
当日、会場で笑われたお客様は思い出されることであろう。
 十分程の爆笑マクラの後、始まった本題は、十八番『上方見物(鏡屋女房)』。鳥取生まれの師匠だけに、田舎言葉には独特の味がある。ノンビリしたムードで語られる噺に場内は爆笑に包まれる。そして、見事なサゲ。

 大入り満席のトリに相応しい小米師匠の高座であった。