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       第311回 公演の記録           吉村 高也
     公演日時: 平成16年 7月10日(土) 午後6時30分開演  

             出演者             演目

           桂   わかば「牛ほめ
           桂   三 象「神様の御臨終
           笑福亭 仁 嬌「夏の医者
           桂   米 輔「佐々木裁き
              中入
           桂  小春團治「祇園舞妓自動車教習
           笑福亭 仁 鶴「質屋蔵
(主任)

             打出し 21時00分

             お囃子
  林家和女 勝 正子
             手伝い 笑福亭鶴瓶、桂 治ん太


 夏本番!! 暑い暑い!! 7月10日土曜日。

前売券は既に売り切れ。当日券の問い合わせも多い中、早くから多くのお客様が列を作られる。
土曜日とあってその列はどんどん長くなり、暑い中列は本通りにまで達する。急遽、開場時間を半時間繰り上げ5時に開場(嬉しい悲鳴)する。次々とご入場されるお客様で、いつもより50席多く並べた席もどんどん埋まっていく。長椅子も並べ立見を防ぐが、6時過ぎには、ついに立見が発生。
最終的には立見大入公演となる(会員様も過去最高の84名様)

 定刻の6時半、7月公演の幕が開く。林家和女、勝正子嬢の二挺の三味線と笛、太鼓、鐘を桂米輔、笑福亭仁嬌、桂三象、桂治ん太の各師が受け持ち『石段』の出囃子に乗って登場は、ざこば一門からキャリア15年。当席へは3度目の出演となる桂わかば師。

 早くから楽屋入りされ、こまごまとした準備をこなす。意欲満々。

「えー、盛大な拍手ありがとうございます。まずは、こちらのほうに位牌がありますが桂わかばのほうで・・・」と、ツカミ。そして、当席では電波が届かないのでありえないが、携帯電話の話題で笑いをとって、本題の『牛ほめ』が始まる。                              

  個性(やや、はずかしそう)豊かな高座は会場の多くのお客様の支持(可愛い孫をみるような)をえて受けに受ける。

 二つ目は、三枝一門のおじさん桂三象師。  

今回も『芸者ワルツ』の出囃子で登場。それだけで一種独特イメージで客席からは笑いが起こる。おなじみの「私は桂三枝の弟子で桂三象と申します。そうそう、念のため、私はあの『新婚さんイラッシャイ』でおなじみの、あの桂三枝の・・・・弟子です。決して師匠ではありません」のフレーズは場内爆笑。

 そして、師匠譲りの創作落語『神様の御臨終』にスッと入る。原作に力があるから受けるのは当然であるが、自身の風貌と噺の主人公がピッタリで受けに受ける。大満足の18分であった。

 三つ目は、トリの仁鶴一門から、いつまでも若々しい高座の笑福亭仁嬌師匠。この師匠も早くから楽屋入りし、準備万全。

「えー、お暑い中、ようこそのご来場で・・・」とあいさつし、携帯電話の話題。

「えー、この間も私がやってる時に携帯電話鳴ったんです。これから面白くなるかなぁという時に『ピロピ、ピロピロピ』。大きな音がなりますな、その音に全員のお客様が目を覚ましたんです(場内大爆笑)

 笑いは健康のために良い、しかし、調子が悪くなったら病院へとマクラを振ってお医者さんの話題へ。

藪医者の種類を紹介して『葛根湯医者』『手遅れ医者』の小噺から、田舎の小噺、『饅頭・西瓜を知らない村』を。そして、合体させるように、本題の季節感タップリ『夏の医者』が始まる。

  のんびりとした田舎の風景をノンビリと、怖いはずのうわばみ(大蛇)もなんとなくホンワカムード。

 そして、中トリは米朝一門から「ポンちゃん」こと、桂米輔師匠が、五年ぶりの出演となります。師匠譲りのキッチリとした上方落語をと期待の中、「えー、一杯のお越しを頂きまして・・・・。続きまして漫画のコボちゃんみたいな」とお馴染みのフレーズ。

さっそく、「昔は士農工商と・・・・」とマクラから、師匠直伝の『佐々木裁き』が始まる。この噺のウンチクは後に譲るとして、25分の高座を終えられた米輔師匠、「タップリ演(や)れたわ。今日は時期的に『青菜』思とってんけど、仁鶴師匠のオハコやしなぁ。けど、よかったわ」との感想であった。

  そして、中入り後は、春團治一門の伊達男・桂小春團治師匠が登場。各地の落語会で絶好調の師匠。今回も『小春團治囃子』に乗って華やかに登場。

「もう本当にギッシリのお客様で・・・中国密航船の船底みたいで」と笑いをとって、即、本題の『祇園舞妓自動車教習所』がスタート。

 当席では初めての演題だが4年間で練られた演出。随所に散りばめられた笑いのツボに、はまるように客席から笑いが起こる。全編爆笑の連続の16分の高座であった。

 そして、七月公演のトリはご存知・笑福亭仁鶴師匠。

今回も、ほんわかムード一杯の高座は、忙しい現在社会の一服の休息剤です。肩の力を抜いて大いに笑ってください。と、ご紹介したが、師匠も同じで、愛車を運転して楽屋入りの師匠もホンワカムード。

鼻歌(熱唱に近い)を歌いながら、ネタ帳(ネタは決定済みか)に目を通される。サインをしながらも歌は止まらない。お茶子さんが「師匠、冬の歌ですねぇ」とツッコムと「暑いもんなぁ、暑さ対策」と返す。

 準備万端整って『猩々くずし』の出囃子で高座へ・・・。そこへ汗を拭き拭き鶴瓶師匠が楽屋入り。

仁鶴師「(鶴瓶師匠に)どないしたん(目は笑って満足そう)」

鶴瓶師「師匠の噺を勉強しに(近々ネタを付けてもらわれる予定)」

仁鶴師「(高座に出ながら、手を振り振り笑顔で)さようなーーーら」

 万来の拍手で高座へ登場すると「えー、暑いことで・・・」と、暑さの話題から、『質屋蔵』が始まる。紙面では表現不能な40分の秀作。熱演を終えて汗を引かせながら満足げ。

米輔、春駒、鶴瓶師匠らを前にして「米朝師匠に付けてもろて、20年ぶりに演じだして、今日で3回目や。ここは丁度ええわ。語れるわ。この噺は声を張ったらあかん。語らな、もっとも怒鳴ったらしんどいし・・・。出来たら汗もかいたらあかんねん、あんまり汗かかへん性質(たち)やけど、汗びっしょりやし、シビレは切れるし、あきまへんわ」と大満足。

「師匠、一年後頼みます」の声に「生きとったらなぁ」と言い残して愛車で帰路に着かれた師匠であった。

    7月公演・叶大入

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・・・『神様の御臨終』と『祇園舞妓自動車教習所』・・・

『神様の御臨終』は、逢坂まひょ:原作、桂三枝師匠演の創作落語。

95年6月初演で、三枝師匠自ら『創作落語125選』の第1回公演(00年3月17日)の演題(『にぎやか寿司』『大相撲夢甚句』『神様の御臨終』)に選ぶほど気に入っておられる作品。

  三枝師匠から弟子の三歩、三象師に伝わっている。

『祇園舞妓自動車教習所』は、小春團治師匠が00年4月12日の「平成創作落語の会」で初演。自動車教習所の教官が優しければ、もっとのびのび教習できたのに、という実体験に基づいて出来た作品。以前の合宿免許教習所の厳しい教習に耐えかねた立花は「日本で一番優しい」と謳われた「祇園舞妓自動車教習所」に転入する。そこでは本物の舞妓さんが京都弁で優しく指導してくれる夢のような教習所であったが、初めての路上教習でその優しさが裏目に出るのだった。

(小春團治師匠のHPより)

・・・『佐々木裁き』と『質屋蔵』・・・

『佐々木裁き』。当席ではこれで8度目の口演となる噺。

三代目松鶴(後の竹山人)となり講釈へ転向)師匠が、一休とんちばなしをヒントからこの落語を作ったとされている。実際の資料によると佐々木信濃守は嘉永5年(1852)より大阪東町奉行を5年間勤め、大阪から江戸に移り、没年明治9年12月31日とある。
 しかし、噺では西町奉行となっている。これは東の御番所は大阪城の近所、西の御番所は本町橋の東詰北にあったため庶民になじみがあったからではないだろうか定かではないが。大人びた子供が主人公なので、やり方では随分イヤミな落語になりかねない。いつの時代でも上役人と汚職とは縁の切れないものらしいが今でも拍手のくることがしばしばある(今回はややあり)。

『質屋蔵』。この噺は当席では、これで2度目の口演。

この噺をお聞きになって季節は『秋』と感じられる方はたいしたもので、丁稚の定吉が熊はんに買ってもらうのが焼き栗。秋の怪談話である。

 昔の落語の分類では「切りネタ(かなり難しい、大ネタ)」で、東の関脇の位置。時間も長編(仁鶴師匠も40分を超える)であり、言葉数も多く大変なネタであろう。

 この噺の中にも、「差配人」持ち主の代わりに管理する人。「手伝い(てったい)」土木の雑務を業とする人。「仕舞い口」終り頃。「走り元」台所。「かんざ」=燗をしたが冷たくなってしまった酒。「いきる」気負い立つこと。と、今では判りにくくなった言葉が出てくる。