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       第301回 公演の記録           吉村 高也
       公演日時: 平成15年 9月10日(木) 午後6時30分開演  観客:190人

             出演者             演目

          林家   染  雀  「宗論」
          笑福亭 鶴  二  「竹の水仙」
          桂    梅團治  「八五郎坊主」
          桂    きん枝   「孝行糖」

             中入
          桂    雀  松  「短命」   
      主任 桂    文  紅  「島巡り」

            お囃子  林家和女 草尾正子
            お手伝  笑福亭 鉄瓶、笑福亭智之介

             打出し  21:05

9月になっても暑い毎日(異常気象)が続く、9月10日、第301回「もとまち寄席・恋雅亭」が開催されました。

 8月に「300回記念公演」を開催し、その余韻も残る中で、お客様の入りを気にしての開催でありましたが、ありがたいことに、5時半の開場時間にはいつもの通り、階段に列が出来き、5時半定刻の開場となる(最終的には、ほぼ満席の190名のご来場)。

 二番太鼓(着到)から、「チョンチョン」の祈と共に定刻の6時半、『石段』の出囃子で開演となる。お囃子は、三味線を、林家和女、草尾正子嬢、太鼓を笑福亭鉄瓶、笑福亭智之介師がそれぞれ担当。

 トップバッターは林家一門から林家染雀師。「えー、ありがとうございます。只今より301回目の恋雅亭の開演でございまして、前回が300回の記念会でございまして、本日はどなたもお越しやないのではと、心配しておりましたら、こうして幾千万というお客様で・・・・」とあいさつから、陰陽のマクラから本日の演題は、上方では演じ手の少ない『宗論』。染雀師のそれは、同じ一門では林家染語楼師匠が演じられるので、師匠からの口伝ではないだろうか?。 

「宗論はどちら負けても釈迦の恥。どの道を行くのも同じはなのかな」の枕詞から噺が始まる。どちらかというと古風な題材のこの噺を、若さを生かして若旦那の演出に力点を置いて、キッチリとした口調と、一門伝統のモッチャリ感もタップリに織り交ぜ演じる。その高座に場内は爆笑の連続。大いに盛り上がった20分であった。  

 二つ目は、六代目笑福亭松鶴師匠の最後の弟子の笑福亭鶴二師。

『さつまさ』の出囃子に乗って登場した鶴二師は、「えー、えらい不景気ですわこの間もある余興へ呼ばれて行ってきましたけど、紹介の仕方でひとつで出にくいでっせ。『えー、今日の出演は、笑福亭鶴二です(呼び捨て)。当会も昨年は剰余金も多く、この催しにはそこそこの芸人さんを呼べたのですが、今年は剰余金も底をつき、この程度の芸人さんしか呼べませんでした。それでは、どうぞ』・・・これで出れまっか・・・。それに比べて、本日は誠にやり易いですが、・  ・」と、笑いを誘って、本題の『竹の水仙』(当席で演じるられるのは、これで5回目)が始まる。

  この噺も上方では珍しい噺で、この後に高座を努められた桂梅團治師匠がマクラで、「えー、地味な衣装で(実際は黄色に超大型の紋のついた絽の紋付)私、ここ(恋雅亭)によう出してもろてますので、出る時はいつも困りますねん。

ご常連のお客様はご存知ですが、私、ネタ余りようけおまへんねん(笑)。そやのに、今日も何しょうかなぁと思ってましたら、トップの染雀君が『宗論』。これ、上方では200人近い噺家がおりますが、10人いませんわ、する人ねぇ・・・・どういう訳か、わたい(私)しますねん。それに、今の、鶴二さんの『竹の水仙』。もともと、釈ネタですわこれは、亡くなられた京山幸枝若先生が得意にしてや(演)ってはったんで、聞いたお客様もあると思います。この噺、今の上方の噺家で今、す(演)んのは、2、3人ですわ・・・・。この噺も、どういう訳か、わたい(私)しますねん(場内爆笑)。

そういう訳で、今日はする噺おまへんねん・・・・」と、紹介されている。

 上方では、廃業された笑福亭枝鶴師匠が、移植され、弟子の小つる師匠に口伝され、そこから伝わっている珍しい噺。

 その噺を、大名行列のくだりではお囃子も入って情緒タップリに、宿屋の夫婦の喜怒哀楽も面白く、サゲにも一工夫され、随所に自身の工夫を織り交ぜて演じられた、22分の高座であった。

三つ目は、『龍神』の出囃子で登場した桂梅團治師匠。紹介したマクラを振って始まった演題は、『八五郎坊主』。この噺は、故橘ノ円都師匠から枝雀師匠を経て、今では多くの噺家が演じる大爆笑噺である。  

 この噺、師匠ご自身も十八番にされているし、師匠のイメージにピッタリの噺である。

主人公の八五郎は勿論、お寺のご住職も漫画チックに生き生きと描かれている。

サゲは、枝雀師匠の「法春(ほうしゅん)・・・・、ハシカも軽けりゃ、ホウソ(法春)も軽いわかった。わしの名前、ハシカちゅうねん」ではなく、「のりかす(法春・糊粕)、そうかもわからん、つけ難い言うてはった」であった。 

  高座のソデで、小生といっしょに聞いていた雀松師匠とは、「オーソドックスなサゲやね。」と同じ感想であった。      

 中トリは、桂きん枝師匠。  

最近は、『禁酒関所』や『青菜』などとネタも増やされ、落語に目覚められら感のある師匠(失礼、師匠に怒られる)である。ネイムバリューは元々充分な師匠だけに落語への傾注は上方落語界にとっても大きな朗報である。  

今回も『彦八祭り』でお目にかかった時、「中トリですからタップリと」と、言った小生にも「かなんなぁ」と言われず、「ちょっと遅れるかもわからんけどよろしくお願いしまっせ」と挨拶され、さらに、当日も早くから楽屋入りされて高座の袖から客席の反応を見られるなど気合充分。                        

 『相川』の囃子に乗って高座へ登場すると、いつもの爆笑マクラで笑いをとって、さっそく本題へ。今日の演題は、師匠直伝の『孝行糖』の一席。       

 古くは東京の三代目三遊亭金馬師匠で有名なこの噺。上方では文枝一門に演じ手が多く、きん枝師匠も師匠からの口伝で若い頃から手がけられておられたお馴染みの噺である。親孝行な主人公を中心の描かれておられた若手の頃と違って、現在は、主人公を取り巻く長屋の連中やお奉行様が生き生きと描かれている秀作であった。大喝采のうちに、お中入りとなる。

いつもより、15分押しの8時15分に、シャギリから『砂ほり』の出囃子と共に、桂雀松師匠の出となる。神戸出身の師匠だけにファンも多く一段と拍手も大きくなる。 

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     * 楽屋よもやま噺  『楽屋での談笑』 **

小 生「おはようございます。いつもありがとうございます」

文紅師「おおきに、300回終わったとこやし、今日はあんまりお客様、来はらへんのん

と違うかと思っとったけど、ようけ入ってまんなぁ」

小 生「ありがたいことです。師匠のおかげですわ。ところで、守口の落語会、10回記

念で大入りでしたでしょう。あれは師匠が世話人を・・・?」

文紅師「そうや、10回記念やから、ざこば君と文珍君を頼んでなぁ」

     雀松、福笑、文紅、中入、文珍、ざこばの各師匠連がズラリ揃った顔付。

文紅師「米朝兄さんを頼んだ時でも、もう少し時間がかかったけど、今回は即完や」

そこへ、雀松師匠が楽屋へ入って来られる。

雀松師「守口の会、会場のキャパは?」

文紅師「400人や」

 話が、東京での文紅独演会の話題へ。

文紅師「東京の会なぁ。途中で会場が変わったやろ。お客様に申し訳のうてなぁ。来年は

『国立(演芸場)でお願いします』言うてはるけど、まだ返事してへん」

小 生「枝雀大全も第4期が発売されるそうで。『野崎詣り』も出る?」

雀松師「出ます。『野崎詣り』はあんまり演(や)ってはらへんけど、『枝雀寄席』の音で

    すわ。師匠の音、ようけ、残ってますねん。その中でも出来のええのん選んで出

してますからよろしいで、東京のTBSの落語研究会の映像なんかは綺麗です」

小 生「一種、独特のムードですけど」

雀松師「そうです。師匠も、『ここは独特やなぁ』ちゅうて言うてはりました。悪い意味じ

ゃのうて」

小 生「枝雀師匠は『たちきれ線香』や『三枚起請』は演(や)りはりましたか?」

文紅師「演(や)ってへんのんちゃうか。よう、二人で円都師匠の所へお稽古へ行っとっ

たから、『たちきれ』は、くってはおったやろけど(練習する)、ちょっと合うて

ないなぁ(イメージに)」

雀松師「わたしも、聞いたことありませんわ。どっちかいうと『三枚起請』のほうが好き

な噺でっしゃろなぁ。うちの師匠は。」

 その後、枝雀師匠の話題が延々の続いたが紙面の都合で割愛

 雀松師匠は、「ちょっと押してまんなぁ。ここは9時はねでっしゃろ。トントンとやりますわ」と言うと、人の字を三回書いて飲み込むまじないをして高座へ 本日の演題は、『短命』の一席。

  この噺、短編であるが、非常に力量が必要な噺。

旦那が死んだ原因をいかに落語の中の主人公より、先に聞いておられるお客様に気付かせて笑いを誘うかが勝負である。

くどくてもダメだし、又、あっさりと演(や)ったのでは、お客様に意味が通じず、笑いが起こらない。その難しい噺を、当席のお客様の感度の良さを差し引いても、無理なく気付かせるところはさすがである。

 さらに、口跡とテンポの良さを生かしての高座は会場を爆笑の渦に巻き込む。サゲもくどくなくサラリと、実に結構な『短命』であった。

 さて、301回のトリは桂文紅師匠。御馴染みの『おかねざらし』の囃子で、夏物の涼しげな着物と羽織をまとい、長身をかがめるように、ゆっくり高座へ登場し、「えー今日中に終わりますから・・」と、一言。

この一言でグッと会場のムードを変えると、師匠である四代目文團治師匠直伝であり、あまり演じ手のいない噺である、『島巡り』が始まる。

  当席でも、初めて演じられる噺で、本日の多くのお客様にとっては、お耳新しい噺であろう。

上方の旅の噺の中に入るこの噺、大仰な呼び方では、『東の旅・伊勢参宮神の賑い』『西の旅・兵庫渡海は鱶の魅入』『北の旅・池田の猪買い』『南の旅・南街道牛かけ『天の旅・月宮殿星の都』『地の旅・竜宮界龍の都』『地獄の旅・地獄八景亡者の戯れ』そして、外国へ行く噺が、『島巡り大人の屁』となるのである。

  女ばかりの島に行こうと大阪を西へ西へ。長崎から船に乗って着いた所は、小人島。そして、大男の島に迷い込んで殺されそうになり、一生懸命逃げるがお膳の上、三日三晩、屁で飛ばされて憧れの島へ。男性自身を掃除棒とごまかし、・・・・・。

全編、童話を読むような筋立てであり、最後はさしずめ大人の童話となる。

 サゲは、いつもの「これ以上やると私の体が持ちません」ではなく、「ここから先はコロンビアのCDで」であった。さらに、打ち出しの太鼓と共に「他へ行って話せんように」と付け加えられた。 

 会場からは惜しみない拍手が起こったのはいうまでもない。こうして、新たなスタートとなる「301回公演」はお開きとなった。