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       第300回 記念公演の記録           吉村 高也
       公演日: 平成15年 8月9日(土)&10日(日)   

       第1部  9日 18時開演

          桂    吉 弥     「軽業」
          桂    坊 枝     「野ざらし」
          露の   團 六      「子ほめ」
          桂    米 朝     「抜け雀」


             中入   
           特別企画(対談)  桂 米朝・笑福亭鶴瓶
          林家   染語楼    「タクシー奇談」 
    (主任)  笑福亭 鶴  瓶       「宮戸川・お花半七」

       第2部 10日 13時開演

          桂    つく枝    「四人癖」
          林家    小 染    「遊山船」
          桂    雀 々    「遺言」
          桂    文 枝    「京の茶漬け」

              中入    
            特別企画(対談) 桂 文枝・桂 雀々
          笑福亭 仁 智    「めざせ甲子園」
    (主任)  露の   五 郎    「宗悦殺し・真景累ケ淵発端」

       第3部  10日  17時開演

          桂     春  菜    「野崎詣り」
          笑福亭 三  喬    「始末の極意」
          桂     あやめ      「キケンな女たち」
          桂     春團治    「代書屋」

              中入    
            特別企画(対談)  桂春團治・桂あやめ
          桂     春  駒     「青菜」

    (主任)  笑福亭  仁  鶴    「壷算」

8月としては、珍しい大型台風10号の直撃の余韻が残る、8月9、10日。もとまち寄席恋雅亭・開席300回記念公演』が開催された。

 7月の前売り直後から、前売券が記録的な売れ行きを示し、9日昼、10日、夜、通し券、10日昼の順で売り切れる。さらに、新聞各紙や、KOBEウォーカー誌などに掲載されたため、「どうしたら入場出来るのか?」「何時から並んだら当日券は買えるのか?」といった,電話での問い合わせが、同人会、風月堂さんに入りパニックとなる。

  当日の9日は予感通り、開場時間の5時には、まだ3時間以上ある2時前には,階段に列が長く伸びる。急遽、整理券を配り混乱を回避する。

 整理券を配ると別の混乱が生じるのは承知の上の決行であった。多少発生したが、お客様のご協力とご助言のおかげでことなきを得たことをこの場をかりましてお礼申し上げます。

 同人会のメンバーも次々到着して、木戸の準備。当日は、風月堂様のご好意で「ミニゴーフル」記念の団扇、パンフレット、そして、多くのチラシをご入場の方、全員にお配りさらに、1回から299回までの演題と出演者を記録した『きろくのきろく』を500円で販売。

 そして、予定を15分早めて、4時45分開場。待ちかねた多くのお客様が次々とご入場され席は見る見る埋まっていき、大入満員。着到ちゃくとうの二番太鼓が流れ、定刻の6時に、『石段』の出囃子と共に記念公演のトップをきって、吉朝門下の桂吉弥師の登場となり、会場からは、天井が落ちるような拍手が起こる。

えー、ありがとうございます。只今より開演でございまして、まず、トップバッターは私、・・・」と300回記念公演の幕が開く・・・・・

 今回は紙面の都合で、対談を中心にしたため、詳しく述べられないのが残念である。

 ・・・・今回の特別企画の対談について・・・・

 300回を記念しての特別企画をと、色々考えた結果、三天王(六代目松鶴師匠を入れて四天王)の師匠連に大変ご無理をお願いしての、「特別対談」となった。 各師匠連は勿論、快諾を頂戴したことは言うまでもない。

全内容をご紹介する訳にはいかないが、一部をご紹介してみたい。

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第一部 桂 米朝師匠と笑福亭鶴瓶師匠の対談(17分)

鶴瓶師 「最初にお尋ねしたいんですが、入門当時、こんな頭(手で表現)してましたが、うちのおや

っさんも米朝師匠も『切れ』とも、言われなかったんですがあれはなんでですか?」

米朝師 「噺家やと、思ってなかったやろなぁ」  (場内大爆笑)

          この、会話をつかみとして、滅びそうになっていた噺の復活の苦労話になる。

米朝師 「『鹿鍋(ろくなべ)』ちゅう噺があるねん」と要約を話される。

鶴瓶師 「今でも通用する面白い噺ですねぇ。そこそこの噺に膨らませますか?」

米朝師 「12〜3分位にはなるやろ」

鶴瓶師 「充分ですわ。そんな噺をようけ復活させて、ご苦労があったのですね」

米朝師 「戦後の師匠連の噺を聞くと、旅に行くと落語みたいな芸がわからなかったらしい、喋って

ると『お前はおもしろいかわからんけど、こっちはちょっともわからん』てな、ヤジが飛ん

で、座布団廻したらワッと沸いたらしい」 

 この後、米朝師匠から苦労談が、「『骨釣り』、『矢橋船』は桂右之助師匠から、『算段の平兵衛』は、うちの師匠(米團治)、東京の小文治師匠なんかに聞いて復活した」などの噺が出る。

鶴瓶師 「ところで、師匠の子供の頃のことを・・・、短くまとめて!(場内大爆笑)

米朝師 「落語の本は、読んどたなぁ。教科書よりずっと勉強になる。最近でも本は読むけど、じゃま

くさい(鶴瓶師『じゃまくさい!』とつっこむ)。本読むの気力がいるで、もうろくして、人の

名が・・・。鶴瓶やったらわかるけど」鶴瓶師「うちの師匠も『三十石』がうまく出来んと悩

んではった」            

 から、六代目の話題。そして、もみじ寺(代々松鶴など、噺家の墓が多い)の話になり、弟子や

後継者がおらんようになると、さみしくなることを、文楽師匠(八代目)が、健在なころの円馬師匠の墓を話題に、墓談義になる。

鶴瓶師 「癌やと嘘ついてる弟弟子が、文三師匠の墓を見て、『桂文三のパイ(碑)』なんてえ読む時

代ですわ」と笑いをとって対談の締めとなった。

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第二部 桂 文枝師匠と桂 雀々師匠の対談(18分)

雀々師 「ここ(恋雅亭)が始まった頃、私が入門したてで、師匠のかばんを持って来てまして、私な

んかが、今、丁度、真ん中ですか、噺家の中では」 

文枝師 「ここは、古くからやってるからなぁ」

雀々師 「最初の頃の『ネタ帳』見ますと、松鶴、春蝶、福郎師匠や、うちの師匠、ようけ、お亡くなり

になっておられます。師匠も最初から出てはります」

文枝師 「なにかい、一生懸命、『ネタ帳』見てるさかい、ネタの勉強でもしてると 思とったら、何人

死んだか、調べとったんかい」  (場内大爆笑)

この、会話をつかみとして、健康管理の話題になる。                    

文枝師 「歯も抜けてきたし、最近は『ええのり』があるさかい、昔の師匠連で、入れ歯を飛ばしてし

もて、あわてて押し込んで・・・。よう受けたで」      

雀々師 「受けへんかたら、入れ歯飛ばして・・・」(場内大爆笑)

    そして、ネタの噺になり、

雀々師 「よく落語は模倣から始まると言われておりますが、『猿後家』は師匠に付けて頂いた噺

で、『雨上がったで、ええ天気やなぁ』と、やったら『まねせんでえ!』ちゅうて怒られまし

たが。・・・・・師匠は若い頃、どの師匠からネタを付てもらいはったんですか?」

文枝師 「五代目(松鶴)師匠が多いねん。六代目はあんまり、習ろてなかったで」

雀々師 「その頃、六代目は?」

文枝師 「彼は、うろうろしとっただけや(場内大爆笑)。昔は寄席の楽屋で教えてくれてなぁそし

て、今からやるから聞いときやちゅうて、高座で一席演(や)ってくれはる」

雀々師 「よろしいなぁ。師匠は『見とけ』ちゅうて、やってくれまへんでしたなぁ」

文枝師 「勝手にやっとけ!。・・・それでええねん。個性を生かして」

  そして、枝雀師匠の話題になり、『天神山』『船弁慶』『時うどん』が、文枝師匠からの直伝、「新幹線の中でもネタの練習をしとった」と、逸話を紹介。

文枝師 「最近、ネタ忘れるねん。くって(練習)出たらええけど、ど忘れちゅうやつや。そやから、誤

魔化す勉強しとんねん。フッと出てけえへん時がある」

雀々師 「タダで教えてもらえるし、覚えたら銭儲けできるし、エエ商売ですねぇ」

文枝師 「そやな、順送りやけど、感謝せななぁ」

雀々師 「今日は300回ですけど、師匠は600回まで生きとかな、あきまへんで」

  文枝師匠がうれしそうにうなずかれ、場内から拍手が起こる。

雀々師 「えー、師匠と愉快に語ろうのコーナーでした」と、締めくくった。

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第三部     桂 春團治師匠と桂 あやめ師匠の対談(28分)

あやめ師 「いよいよ、第三部の対談は、憧れの三代目春團治師匠に、私、桂あやめがレポーター

として、お話をお伺いするというコーナーがやってまいりました。緊張いたしております。

よろしくお願いいたします」

春團治師 「こちらこそ、僕、こんなん苦手やし、相手が女性やからこっちが緊張するわ。まぁ、今

日、どんなこと聞くかによって、今後、君とは口きかへんかも、わからん」

あやめ師 「私も、女性として認めていただいておりますか、うれしいですわ」

春團治師 「女性でしょ」                                              

あやめ師 「一様、そっちのほうです」    (場内大爆笑)                

 この、会話をつかみとして、師匠との乗り乗りのトークが始まる。まず、入門秘話から。

サラリーマンを辞めて、おやっさん(二代目春團治)について地方廻ってた、博多で前座さんが倒れる『寄合酒』で初高座を飾った話題。   

あやめ師 「その頃はお仲間は?」                                     

春團治師 「米朝さん、米之助さん、あやめ(現文枝)さん、松之助さん、六代目さん」

あやめ師 「その中でも、もてはったんでしょうねぇ。師匠は」

春團治師 「まあね。僕は自分からは口説かへん、向こうから来るのを待ってた。振られたら腹たつ

し、人助けですわ」

あやめ師 「奥様は辛抱しはったんですねぇ」                            

春團治師 「苦労かけました、ここ5年は真面目です。そのころ、家へ帰るとカレンダーに、○が二つ

 付けてあるねん。帰った日や、家に」                

あやめ師 「そんな、あったんですか、泊まる処が・・・」                    

春團治師 「最近はお酒の方が、ええけど。ふたりで、若い頃は二升は空けたもんや。家内は常温、

 僕は燗をつけて」

あやめ師 「奥様はうれしですやろ。待ったかいがあったんですから、自分の処へ帰ってきたんです

 から(師匠が小さく『帰るとこおまへんがな』)。ところで、うちの師匠と並んで歩るく姿は

 綺麗かったそうで」    

春團治師 「そやねぇ。あやめ(文枝)さんとは、同い年やし、気も合うたし、二人で着流しで歩いた

 わ。そしたら、兄貴(松鶴)と松ちゃん(松之助)が、割り込んできよんねん」

あやめ師 「ごつごつしたのが。(場内爆笑)」                            

 そして、『華麗なる羽織の脱ぎ方』、『上方落語協会人事の件』、『四代目春團治の件』、爆笑トークが続き、サゲとして用意していた、なごみチャン(愛嬢)を 師匠の 隠し子と紹介して『四代目春團治』を頂戴するトリネタは、なごみチャンが寝てしまったため中止。

  乗り乗りのトークは、時間の長さを感じさせない28分であった。     

    なお、当日の春團治師匠は最初から乗り乗り。春菜師の高座へ乱入するといった考えられないようなハプニングも記念公演ならでは。

こうして、300回記念公演は大成功のうちにお開きとなった。