第299回 公演の記録 吉村 高也 |
公演日時: 平成15年 7月10日(木) 午後6時30分開演 観客:240人(大入満員・立見あり) 出演者 演目 桂 こごろう 「動物園」 桂 蝶 六 「昭和任侠伝」 桂 楽 珍 「手水廻し」 立花家 千 橘 「累草紙・親不知の場」 中入 笑福亭 竹 林 「六尺棒」 主任 桂 南 光 「恨み酒」 お囃子 林家和女 草尾正子 お手伝 笑福亭 三喬、瓶成 打出し 21:05 |
梅雨明け間近の7月10日。『もとまち寄席 恋雅亭第299回公演』が開催された。 7月になって前売券、電話問い合わせが活発になり、今回も大入りの予感を思わせる前評判。当日はその予感通り、開場時間の5時30分には、多くのお客様が列を作られ、予定通り木戸を開ける。 次々にご来場されるお客様に席は見る見る埋まっていく。6時には既に会場の後方の椅子お客様が。急遽、月堂さんの協力で、後方にパイプ椅子、長椅子を並べ対応。しかし、その後も、お客様が来席され、ついに立ち見発生の大入り公演となる。 一方、噺家さんの楽屋入りも順調で、楽屋も、熱気ムンムン。 そして、立ち見の発生した会場に6時25分過ぎ、着到(ちゃくとう)の二番太鼓が流れ、定刻の6時半の幕が開く。 石段の出囃子に乗って、トップバッターの南光門下の桂こごろう師が登場。「えー、ありがとうございます。只今より開演でございまして、まず、トップバッターは私、桂こごろうと言う、なんとも大それた名前でございまして・・・・」とあいさつし、OBC(ラジオ大阪)での番組秘話からマクラがスタート。色々なけったいな金儲けの噺から始まった演題は『動物園』。 この噺を仕立てたのは米朝師匠。こごろう師の大々師匠(こんな呼方?)に当たる。直伝らしくキッチリと演じる部分もあり、自身の工夫も随所に入ってトップから全開の18分であった。 二つ目は、故春蝶一門から、桂蝶六師。持ち前の明るさで演じる落語の面白さは各地の落語会で実証済み。 『乗合船』の出囃子に乗って、師匠も数多く登場した高座へ登場。 楽屋で師匠の想い出を熱く語っておられた蝶六師だが、高座でも爆発。 春蝶師匠といえば、松鶴師匠と共に多くのお客様の目に焼き付いている師匠だけに 客席の反応も最高で、マクラから爆笑の連続。 そして、本日の演題は、師匠の自作自演で『昭和任侠伝』。「任侠とか、東映のやくざ映画全盛の時の噺で、ちょっと、時代錯誤の噺で判りにくい部分もありますが・・・」と、断って師匠の自作自演の噺が始まる。 キッチリと師匠の通り演じた噺は、やや判らない部分もあったが、15分の高座は、満員のお客様も大受けであった。 「いやー、よう出来た噺ですわ、今でも古くないし面白い、私らごときが演じてもよう、受けますわ」と高座を下りての感想であった。 三つ目は、文珍一門の筆頭・桂楽珍師。持って生まれた漫画チックでほんわかとした雰囲気を生かしての爆笑落語を引っさげ、『ハイサおじさん』の出囃子で高座へ。一礼後、頭のテッペンを扇子で隠し顔を上げ「えー、えー、ありがとうございます。一杯のお客様でございまして、私が芸名が桂楽珍、本名を木村拓哉と申します」と得意のフレーズの掴み。 「その時々の話題の人を出すんです。こないだまで北島三郎でしたし、萬屋錦之介やったり、北海道では鈴木宗男、東京では、日産自動車、カルロス・ゴーン言ったら受けまして、似てるいうて、似てますか?(場内拍手)。 そして、売れてない自分を紹介、しかし、最近は売れてきたCMの紹介。さらに、徳之島出身が縁で出演したNHKの『まんてん』の秘話(方言指導)。爆笑マクラが12分続いて、本題の『手水廻し』が、「えー、最近、笑福亭岐代松さんが演じておられますが、笑福亭と桂とでは違いますので・・・」と断って始ま った。方言を充分に生かして、満面の笑みで演じる噺は、爆笑の連続。 28分の高座はお後と交代となる。 * * 楽屋よもやま噺 ** 楽屋へ到着された千橘師匠。やや恥ずかしそうに、ワープロ打ちのキッカケ帳を、お囃子の林家和女嬢、太鼓の笑福亭三喬師匠に見せる。 表題は『累草紙・親不知の場』と書かれてある。 先月の松枝師匠同様、ここは、こうして、キッカケはこの言葉。生き殺しはこうと、何度も打ち合わせ。前回の『雪の戸田川』同様、満を持しての当席への出演である。・・・・・ そこへ、南光師匠が、・・・・・ 南光師「えらい、ご無沙汰で、すんまへん。気にしてるねん。八月(三百回)も都合が悪 くて残念や」 小 生「いつも、ありがとうございます。今日も大入りで」 南光師「千橘師匠、決め打ちやなぁ。気合い入ってるなぁ」 小 生「先々月は、呂鶴師匠が『仏師屋盗人』と思っておられたんですが、トップで『お ごろもち盗人』が出て」 南光師「しゃあないなぁ。それがここの真剣勝負の良さや。『仏師屋』は、松鶴師匠に付け てもろたんや。嬉しいことに松鶴師匠には、よう、可愛がってもろて、神戸で一 緒やったら飲みに連れていってもろて、鶴瓶がよく焼き餅焼いて『なんで、兄さ ん、そんなにおやっさんにはまってまんねん』言うてたわ」 竹林師「師匠(南光師)のは、おやっさん(松鶴師)の息ですもん」 南光師「最近は自分流に変えてるけど、前はもっとそっくりに演(や)っててんで」 そして、中トリは、上方落語界の中軸、立花家千橘師匠。 五郎一門として師匠譲りの滑稽噺・怪談噺と、その幅広い演題の中から、今回は師匠直伝の『累草紙・親不知の場』の一席。(前回は『雪の戸田川』) 五郎師匠の前の出囃子の『藪入り』でゆったりと登場した千橘師匠「えー、 よろしくおつき合いの程をお願い致しておきますが、江戸は巣鴨傾城ヶ久保に、吉田剣持の奥家老で、堀越与左右衛門と言うお方がございました。」と、マクラもなく始まった高座は真剣勝負。 この噺は、三遊亭円朝師匠の師匠、二代目三遊亭円生作の、『怪談累草紙』であるが、小生の推測であるが、円生(二代目)→円朝→三遊一朝→林家正蔵(八代目)→露の五郎→立花家千橘と口伝されたのであろう。 陰惨で女性蔑視、笑いも少なく、さらに、舞台は江戸の怪談噺をキッチリと演じる。この分野の当代の第一人者を自他共に認める師匠の半時間近くにおよぶ名演・熱演で、大喝采の内にお中入りとなった。 中入りの時から、来月、第300回記念公演の前売券の発売を開始する。 お買い求められる列が出来る程の絶好調。「会員様は、当日ご入場出来ます」とアナウスして、販売する。今回から企画した「通し券」の売れ行きも良く、当日の大入りを予感させる。 あっという間の中入りも過ぎ、シャギリから『山羊の郵便屋さん』の出囃子で、故松鶴一門から笑福亭竹林師が登場し、さっそく、独特のマクラから始まる「えー、私事で大変申し訳ございませんが・・・」で繰り出される話題は、爆笑連続。 特に、春團治・いとしこいし師匠に松鶴師匠の亡くなった年を、訊ねられて即座に答えられた理由が、前回の阪神タイガースの優勝の年と関連づけて覚えていた話題では場内大爆笑。 その竹林師、本題は『六尺棒』の一席。 この噺は、東京ではポピュラーな噺であるが、上方では大変珍しい噺である。 絶好調であったマクラのムードを、そのまま引っ張った口演は、絶好調。筋も単調で、登場人物も少ない噺だけに、腕が必要な噺を中入りカブリの位置づけも考慮し、大爆笑のうちにトリに引き継いだ25分の高座であった。 本公演のトリは、故枝雀一門の筆頭、いや、現在の上方落語界を代表する逸材の桂南光師匠。 昭和45年入門でキャリアも30年超となった師匠であるが、いつまでも若々しい高座は爆笑の連続を予感。 今回は2年ぶりの登場(前回は273回公演。演題は『桜の宮』)とあって、トリの重責を果たすべく、満を持しての登場となる。 「えー、私(わたくし)もう一席のおつき合いでございまして、2年ぶりに寄せて頂きまして、一杯のお客様でありがとうございます。また、来月は300回でございまして・・」とあいさつして、酒のマクラで笑いを誘った後、トリだけに演題の選び方は難しいところであるが、始まった演題は、師匠直伝の『恨み酒』。 本日、演じられていない『酒』の噺である、さずが。 ** 楽屋よもやま噺 其の2 『恨み酒』について ** この噺は、当席の特別会員でもある織田正吉先生が、故桂枝雀師匠のために書き下ろした創作落語。 サゲがピリッと利いた古典落語を彷彿とさせる秀作。 小生がこの噺を初めて聞いたのは、昭和49年11月の柳原の柳笑亭でのこと。その時は、枝雀師匠自らが、「まだ、名前が決まっておりませんので『あれから十年』とでもしておきます」と言われて演じられたのを記憶している。 小生のライブラリーは、 @ 1974年12月01日・第33回ABCヤンリク落語会 A 1975年10月27日・サンテレビ上方落語大全集 B 1975年11月20日・第86回NHK上方落語の会※「枝雀大全」として、CD化 C 1979年10月19日・第244回NHK東京落語会 となっている 酒の噺は、演者自身の演じ方によって、その内容が大きく変化することは皆様、よくご存じの通りで、南光師匠のそれも、他の師匠とはまた違う演出である。 この噺も枝雀師匠の内容を骨格にして、自身で化粧直しした内容。その名演は30分近くにおよび、自身も満員のお客様も充分楽しまれたのではないか。第299回公演はこうしてお開きになった。 |