第285回の記録 吉村 高也 |
公演日時: 平成14年 5月10日(金) 午後6時30分開演 出演者 演目 笑福亭 遊 喬 「寿限無」 桂 文 昇 「鹿政談」 桂 文 我 「しらみ茶屋」 桂 福団冶 「やぶ入り」 中入 笑福亭 鶴 志 「野崎詣り」 主任 桂 雀三郎 「崇徳院」 |
2002年の5月10日に『第285回恋雅亭』が、雨模様の金曜日に開催された。 定刻の五時半に開場。列を作られた多くの熱心なお客様が会場へ吸い込まれる様にご入場され次々に思い思いの席へ。場内は次第に埋まっていく。そして、一番太鼓、二番太鼓(着到)が鳴り定刻の六時半に開演。 その公演のトップは、松喬一門から当席へは二度目の出演となる笑福亭遊喬師(平成3年入門でキャリア11年目)。勉強熱心で知られる一門の二番弟子として、野田阪神で毎月開催されている『おそばと落語の会』や各地の落語会で基本に忠実に演じられる上方落語は明るく楽しいと評判。 『石段』の出囃子で高座へ登場するや、元気一杯で「えー、只今より開演でございまして・・・」と簡単に自己紹介して、結婚式の司会で遭遇した珍しい名字を紹介し、笑いをとって、早速本題の『寿限無』が始まる。 東京では多くの演者が演じるこの噺であるが、上方ではどちらかというと珍しい。しかし、この噺、全てのお客様が知っているといっても過言ではない程のお馴染みの噺で、やや笑いが少なかったのは仕方のない処。その噺を基本に忠実に、さらに、トップの位置づけをよく理解してキッチリと演じ15分でお後と交代となった。 高座を終えての感想は「二回目ですけど緊張しました。何を演(や)ろかなぁと迷いまして、この噺にしましてん。あんまり受けませんでしたわ。ここのお客さん怖いですわ。実力をよう知ってはります。あんじょう滑ってしもて・・・」と謙虚な感想であった。 二つ目は文枝一門から桂文昇師。昭和59年に入門し小國。平成11年に改名し現名となった。その間、変わらず若々しい顔と高座で、楽しく元気一杯の高座態度は、皆様も同じ感想のはず。「えー、続きまして私の方で・・・」と挨拶して、「私は、大阪の南、長居に住んでおりまして、ワールドカップの行われる競技場の近所でして・・・。この前、お金の掴み取りつられて、新築住宅の展示会に行きまして」と現金掴み取りでの失敗談で笑いをとる。 そして、奈良の大仏さんの話題から始まった演題は、師匠直伝を思わせる『鹿政談』の一席。若々しい声なので、六兵衛じいさんがやや若かったが、奉行所でのお調べのくだりも重厚に演じ大器の片鱗を感じさせた一席で、サゲは「切らずにおくぞ」「まめで帰ります」である。 三つ目は枝雀一門から四代目桂文我師匠。雀司から当席でもお馴染みであった名跡文我を襲名して、ますます磨きがかかる高座は全国各地で大評判。先代譲りの『せり』の出囃子で明るく登場。場内からは待ちわびた様に喝采が巻き起こる。「えー、続きましては私、文我の方でおつき合い願います」とあいさつ。 「現在、上方の噺家の数が約百八十名。東京と合わせて、約五百名。これは北海道のヒグマの生息数と同じで絶滅危惧種と言えますが、もっと凄いのが幇間(たいこ)持ちと言う商売で、これは日本カワウソですなぁ」とマクラを振り、本題の『しらみ茶屋』へ。 この噺は元来上方落語であったが、戦後は上方では演じ手はなく、東京
の八代目雷門助六師匠でしか聞く機会がなかった噺である。 その珍しい噺を自分なりに工夫を加え、純上方落語として完全復活。 虱(しらみ)を出会った乞食から瓶一杯調達しお茶屋へ出かける。「首筋占い」と上手に虱を首筋から入れるという、まことに無理のない筋立てと仕上がっている。虱を入れられた幇間持ちがかゆいのを我慢するための踊りの囃子も、自身自ら、華やかでどこでも切れるとして『夜桜』から『かっぽれ』へ変える。そして、サゲも助六師匠の虱を入れてあった瓶の口が開いて虱がゾロゾロ出てくると「口を割った」から、若旦那が、いたずらを素直に謝って、「悪かった、飲み、飲み」「ノミ、虱の後に蚤はこりごりや」。とスッキリと判りやすく工夫されている。その工夫を達者な高座(口調、目線、仕草)がさらに盛り上げ、全編、大爆笑噺となった大満足の22分であった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ **楽屋よもやま噺 (文我師匠当席演題控としらみ茶屋) 文我師匠は、上方落語界でも屈指の演題の幅の広さで定評があり、当席でもその片鱗をみることが出来る。四代目文我を襲名後を、紹介すると ・『井戸の茶碗』 平成 8年 9月 第217回公演 ・『三十石』 平成10年 5月 第237回公演 ・『後家殺し』 平成11年 8月 第252回公演 ・『さじ加減』 平成13年 2月 第270回公演 ・『しらみ茶屋』 平成14年 5月 第285回公演 『しらみ茶屋』 『文我・落語百席(東京編)』パンフより抜粋 東京では先代(八代目)雷門助六師の高座が有名でした。元来は上方落語であったが、しばらく演者が無く、滅んだネタとなっていたのです。米朝師によりますと、近年では三代目笑福亭福松師が演じていた様で、助六師よりは地味な演出だった様です。助六師の構成は、時代設定もかなり現代的であり、後半の踊りも派手で面白く、何よりわかりやすい高座となっていました。 私は時代設定は少し前に、主人公は現代の雰囲気抜群で、踊りは派手にを心掛けています。最近は演じていて楽しいネタであり、ネタの中へ入り込んでいける様になってきたと思います。 中トリは「梅は咲いたか」で四代目桂福團治師匠の登場。今回も元気者 で実力派揃いのメンバーをビシッと締める位置である中トリで出演。何でもこいのその実力に裏付けされた高座はみもので、『梅は咲いたか』の出囃子で登場するや、やや間をとっての「えー」。いつもの福團治ワー ルドへ会場の雰囲気は一変する。 「えー、どうも、へーーーようおこしで、今日は雨でねぇ・・・・・。ふーん長いことやってまんねん。もう40年
近こうも・・・。くたびれまんねん。座ってるだけやけど・・・・・。このまま死んでいきまんねやろなぁ。下半身弱ってもて・・・、医者へ行ったら『胃カメラ、飲むか』言われて・・・」と、おねおねが続く。 「この頃、休みも娯楽も増えまして・・・・・。年に百二十日、三分の一も休みですわ。私らが入門した頃は三年間修行しますねん。休みなしですわ。また、私の師匠(三代目春團治)は几帳面な師匠でして、ご存じの通りに羽織の脱ぎ方も右に脱いだり、左へ脱いだりしません。後ろへきちっと落ちますわなぁ・・・。五十年やってまんねん、今、見たらピャッと浮きますわ・・・。世界で只一人やから・・・。皆、羽織脱ぐのを見に来まんねん。羽織脱いだら皆帰ってしもた・(笑)。こ、これは冗談でっせこんなん言うたら破門になってまいますわぁ」 さらに、「きっちりした師匠ですから、内弟子時代は漬物(つけもん)の切り方もうるそうてね、幅が揃ってないと怒られまんねん。困って鉛筆で線引いて切っても、線が残りまんねん。また『線の上をキッチリ切れ!』言うて、また怒られて・・」と珍しく師匠の話題や、修行時代の想い出を語り、そこから本題の『やぶ入り』が始まる。 この噺は東京の先代(三代目)三遊亭金馬師匠の十八番として有名であるが、上方では福團治師匠が移植され、当席初演は、平成元年2月第130回公演。以降、平成4年3月第167回公演。平成5年9月第185回公演。平成6年10月第198回公演とほぼ、一年間隔で演じられ、今回約7年ぶりの口演で5回目。師匠の十八番となっている。 今回は、息子を風呂に送り出すくだりで切って、サゲはなかった。その分、我が息子が帰って来る嬉しさに重点を置いた演出となった。それにしても、息子にこれも、あれもと悩む親心を描く師匠の口演はいつもながら見事。30分を超える高座は短く感じた。 中入後は、笑福亭一門の実力派・豪放磊落の高座でお馴染みの笑福亭鶴志師匠。トリを努められる実力者をカブリに配し、重みを増した番組となった今回。以外のシャイな一面を持つ師匠の爆笑噺を期待の中、『だんじり』の軽快な出囃子に乗って登場した鶴志師匠、「えー、阪神強いでんなぁ」から始まったマクラは爆笑の連続。 「私は松竹芸能所属でございまして、初舞台は今はおまへんけど、新世界の新花月という小屋でして、三百人位の客席でして、ここ(恋雅亭)と違いますのは、女性がいません。男性も服装が決まってまして、ダブダブのズボンをはいて、必ず酔っぱらってますわ。そんで、落語が嫌い。我々が出ていくと『やめとけ』ちゅうて声がかかりまんねん。わたいなんかは若手でしたからやりましたけど、うちの師匠なんかは『さよか』ちゅうて、すぐ下りてきはりまんねん」と想い出噺。 さらに、「色々な処で演(や)ってますけど、大阪の新今宮の集会場でやった時は、廻りを武装警官に守られて1万人位の前でやりましてん。 『絶対に、“労務者”と言うたらあきまへんで、殺されまっせ』と注意を受けてましてんけど、いざ実際に前にすると言うてまいまんなぁ、えらい目に合いましてん」と続き、「実は今、何やろかな? と迷ってまんねん・・・。よっしゃ、決まりました。『野崎詣り』でおつき合い願います」と、野崎の観音様の御詠歌を紹介して「三代目春團治直伝ですけど入り方が違いまっしゃろ」と断って始まる。その高座は乗ってバツグン。 全編鶴志色の溢れた大爆笑の逸品であった。高座すませた師匠の口は、止まる処を知らず、楽屋でも全開。亡き師匠の「警察病院での臨終を迎えた一門のひきこもごも秘話」や、「修業時代に結ばれたM師とH師(嬢)の交換日記盗み読み事件」など30分の再熱演であった。 さて今回のトリは桂雀三郎師匠。その実力は折り紙付き、各地の落語会で大活躍(もちろん歌でも)。『じんじろ』の軽妙な出囃子で登場し、さっそく本題の『崇徳院』が始まる。前出の鶴志色から雀三郎色へ見事に変化する。御本家に呼ばれた熊五郎が、御本家へやってくる。若旦那の寝ている奥の離れ座敷で、事情を聞き出す。もちろん「障子はる 破れたらまたはる…」や、高津(こうづ)さんの茶店では「羊羹なんぼほど食べてん」とか「笑うたら向こうの負けや」とか…。 さらに「高津さん行く手間で、何で生國魂はんへ行かせん」やとか「百人一首の人喰いの歌」などのお馴染みのクスグリは満載。欲と二人ずれで、おひつを首から紐でぶら下げられ、こうこを丸々一本、腰にわらじを吊って探しにいくくだりでは天井が落ちるほどの大爆笑が起こる。 相当数の床屋・風呂屋を回り、棟梁風の男と遭遇し、無事探す相手が見つかり、崇徳院さまの下の句でのサゲとなった。 |