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       第283回 公演の記録           吉村 高也
       公演日時: 平成14年 3月10日(日) 午後6時30分開演  

             出演者             演目

         桂    文  春    「つる」
         笑福亭 鶴  二    「馬の田楽」
         桂    小  福    「代書屋」
         林家   染語楼    「天神山」


             中入
         桂    あやめ    「コンパ大作戦」   
   (主任)  桂    文 珍    「軒付け」

2002年の三の月十日に『恋雅亭・弥生公演』が、寒さもゆるみ春、間近の日曜日に開催された。

  先月同様、前月末から新聞各紙に掲載される都度、電話での問い合わせと前売券の売れ行きが伸びるという最高に近い前評判(前売券は百枚超)。

 当日は元町本通も最高の人出、当席のお客様の出足も絶好調。最初にご来場されたお客様は四時。五時を待たずにどんどんと列が長くなる。遂に一階の売場をグルリと一周しそうな勢い。急遽、予定を十分早めて五時二十分に開場。列を作られた多くの熱心なお客様が会場へ吸い込まれる様にご入場され次々に思い思いの席へ。場内は次第に埋まっていく。

 そして、会場一杯並べた椅子も一杯。パイプ椅子を最後列に並べ、ご来場されるお客様に対応し、最後は出入口の扉の処にまで並べて、立ち見を出来るだけ防止。

 そして、一番太鼓、二番太鼓(着到)が鳴り定刻の六時半、開演を。

ここでちょっとハプニング。大太鼓の音が悪いのである。お囃子の名手の染語楼師匠が首を傾げる。「どうしょう、おかしいな。ポソポソやなぁ」と楽屋をグルリと見渡す。太鼓を仕舞っている戸開くと、そこにはもう一つの太鼓があった。「あった。あった。これや、いつも使ってるやつや」とさっそく取り換えて無事開演を迎える。

  その弥生大入公演のトップを飾るのは、当席トリの文珍一門から桂文春師。  文時(ぶんどき)から改名し、ますます乗っている師。さらに今回は師匠の前座を努める重圧。それをバネに力強い高座となると紹介したが、その通りで『石段』の出囃子で高座へ登場するや元気一杯。

「えー、大入公演のトップは私、桂文春でございます。「ふみはる」とは読まないで下さい。ちなみに、以前は文時(ぶんどき)と名乗っておりましたが二年前に改名しました。私のことを知っているお客様、拍手を・・。やはり、三人ですか。まあ、こんなもんですわ」と独特の語り口でマクラが続く。

もちろん、和歌山出身のアピールも忘れない。キャリア十五年で高座態度の落ち着いたもので、会場は爆笑の連続。

 そして、本題は「えー本日は可愛らしい噺を持ってまいりました。どうぞ、しばらくの間おつき合いをお願い致しておきます・・・」と『つる』。満員の客席を沸かして18分で交代。

 二つ目は故六代目松鶴師匠の末弟笑福亭鶴二師。この師も鶴児から鶴二へ改名し、一皮剥けた感が。笑福亭の伝統の豪放磊落の上方落語を引っさげて久々のご出演。

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   **楽屋よもやま噺  (鶴二・文春師匠と笑談)

小 生「お早うございます。本日は大入り。ありがとうございます」

鶴二師「ありがとうございます。ほんまに久しぶりでっせ。五年ぶり、前に出してもらっ

た時は鶴児でしたし、その時が初出演」

文春師「私は、1年に1回のペースで出してもろてまっせ。けど、15年目でまだトップ。

兄さんは、何か、しくじった?」

鶴二師「そやろ、わてもずっとそれ思てたんや。昭和62年入門で16年目。けど、今回

の電話、嬉しいてね。また、たのんまっせ」

小 生「しくじってはりまへんで。前回、なんかの都合で1回飛びましてん。これからも、

よろしくお願いいたします」

  『独楽』の出囃子で登場し、久々の出演をアピール。いつもながら、若々しい高座はマクラから全開。色々な処で演じた落語会の想い出を語って、昔の悪ガキの噺『馬の田楽』。来席出演予定の笑福亭小松師匠の十八番でもあるこの噺、同じように悪賢く、それでいて憎めない子供が沢山登場して活躍する。実に楽しい。鶴二・十八番である。

  三つ目は福團治一門の筆頭弟子桂小福師匠です。昭和五四年入門でキャリアは二十年を越すが、落語に取り組む姿勢はいつまでも謙虚で人望も厚い。さらに連続の独演会にも取り組むなど勉強熱心でもある。

  「えー、浪花座も閉まりまんな。けど、知名度低いからしゃあないか判かりまへんけど。ここの方がずっと知名度ありまっせ。恋雅亭いうたら、京都も大阪でも売れてますわ。けど、浪花座は10メートル離れた喫茶店の女の子が知りまへんねんで。そら、潰れますわなぁ・・・」とマクラが続く。そして、「つかみ完了。儲かった日も代書屋の同じ顔(ポン・小拍子を叩く)」と大師匠にあたる三代目春團治十八番の『代書屋』が始まる。

  随所に新工夫が盛り込まれた噺がテンポ良く進むたびに場内から爆笑が起こる。ちょっと、病的を思わせる程の切り口で進行した噺は代書屋さんが履歴書をビリビリに破ってサゲとなった。

 中トリは、「市ちゃん」林家染語楼師匠。「市ちゃんもそろそろ中トリを」とのお客様と楽屋雀の声に後押しされて、今回は中トリとしての出演。

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   **楽屋よもやま噺  (『天神山』秘話)          

染語楼師「お早う。大入りやねぇ。このコラム(パンフ)、いつやったかなぁ。111回ゆ

うたら、今から15年も前か。つい、こないだやと思うけどなぁ」

文 珍師「そうそう、はっきり覚えてるでぇ。おもろかったなぁ。師匠(文枝)も乗って

はったなぁ。このコラムの通りや。そうそう『天神山』やったなぁ」

小 生 「ところで、染語楼師匠は何を?」

染語楼師「『始末の極意』や。この噺以外と穴やでえ。今、あんまり演(や)らへんし、こ

こでもあんまり出てへんし・・」

文 珍師「なに言うとんねん。『天神山』『天神山』。ここみたいな、ええお客さんの前でや

らな、する時ないで。やりやり」

     実は先日、ワッハ上方での『林家亭』でこの噺を演じられた。文珍師匠はそれをゲストとして知っておられ、ネタ固めをすることを奨められたのであろう(ちなみに文珍師匠は『軒付け』)。

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     当席は、事前に演題を明らかにしていない。・・・中略・・・        

  しかし、当席でも意識的ではなく、知らず知らずに噺のネタが付き『・・特集』と

なってしまった会は爆笑を呼ぶ会になるのである。今席ご出演の桂文珍、林家染語楼

の両師匠が出演された、昭和62年6月の第111回公演。題して『動物噺特集』で

あった。  その公演をチョット振り返ってみる。

     トップの笑福亭小つる師匠の前座噺の定番の『犬の目』を今と同じように茶目っ気タッ

プリに軽妙に演じる。二つ目に林家市染(現 染語楼)師匠。「今日はこの噺のネタ下

ろし(初演)に挑戦します。小文枝師匠がまだお見えではありませんので・・・」と、

お囃子のタップリ入った『蛸芝居』。

三つ目は先程惜しくもお亡くなりになった桂歌之助師匠が『鹿政談』をマクラから半時間熱演。このあたりまではまだ、ネタが付いているとの意識はなかったはずであった。「ネタが付いている」と最初に反応されたのが桂文珍師匠。笑福亭枝鶴(廃業)

師匠が、この師匠も気が付いたのか茶目っ気タップリに「犬、蛸、鹿・・」と『狸の賽』を演じ始めた頃、文珍師匠の楽屋中で英語の単語の確認が始まる。

そして、中入りの間も考えに考え、練りに練った噺『つる・英語バージョン』の一席が始まる。全編、今、考え、覚えたたばかりを思わせるたどたどしい口調の噺に場内も大爆笑に包まれる。

とどめは笑いながら登場した桂小文枝(現 文枝)師匠。「えー今日は妙な会でございまして、楽屋でも今、下りて文珍なんかが『師匠、判ってはりまっしゃろなぁ』てなこと言いよるんだ。こうなったら、お客様も楽屋も期待してはりますので、私のところも・・・」と断って十八番の『天神山』を演じられた。こうして、事前に企画しても、こうもうまくいかなかったであろう『動物噺特集公演』が大成功のうちにお開きになったのである。

 『鞍馬』の囃子で登場した師匠。「えー、まるで座布団から生えているような着物で・・・。」で会場全体がドッカンと大受け。

そして、さっそく、「春らしくなってまいりまして・・・」と『天神山』が始まる。染語楼師匠に新しいお弟子さんができ、この度芸名も付き、初高座を迎えた。芸名は師匠の前名(市染)と現名から一字づつとっての命名された林家市楼(いちろう)。師匠の実子である。これで東京の当代柳家小さん、三語楼、花録師匠。上方の五代目笑福亭松鶴、六代目松鶴、五代目枝鶴師匠の三代。それについでの三代続いた名門となった。

 その市楼師などがお囃子方に廻っての上方情緒満点のこの噺を基本に忠実に進み、要所、要所で爆笑をとりサゲとなる。

  この噺のサゲは、                                                  

@     いなくなった安兵衛を探して叔父さんの処へ友達が捜しにくる。「安兵衛ならコンコン」

「あっ、叔父さんも狐や」。

A     障子に書き残しました詩一首「恋しくば、尋ね来てみよ、南なる天神山の森の中まで」

ある春の日のお話でございます。                           

B     芝居で言いますと「・・・・」、落語の方は、貸家道楽大裏長屋、ぐずのかかの子ほったらか

し。天神山という馬鹿々々しいお笑いでございます。

Aは故人となられた枝雀師匠の型であったが、染語楼師匠は「これはちょっと照れるしなぁ。わ

ては、文枝文紅師匠のやってはるBの型で」と言われていた

 サゲと同時に大入り満員の客席から惜しみない拍手が送られて中入りとなる。

 中入りカブリはもうすっかりお馴染みの桂あやめ嬢。

高座へ登場するや「えー私のほうも、座布団から生えた様な着物で、言うときますけど、染語楼師匠のんを借り着してまへんので・・・」と笑いをとる。「えー只今の『天神山』の舞台の一心寺、安居天神さん。お彼岸になりますと、人の波で大渋滞が起きる処に私は住んでおりまして、ラッシュですわ・・・」。と笑いをとって、三十路を過ぎた三人の女性が男性と知り合うきっかけを求めてコンパに参加する創作落語。題して『コンパ大作戦』。

いつもの通り独特の切り口とクスグリがふんだんに盛り込まれている。

  特に、名前を子が付いていては年が解るため変える。化粧(口紅は特にカシワの手羽を食べた後)に工夫をこらし、相手の話を聞く姿勢はハマグリが口を開いた時の角度。極め付きは服装。薄着をして色気を出すが決して肩は見せないこと。なぜなら、疱瘡(ホウソウ)の後があると三十五以上であることがバレる。と細心の注意を払う。

 そのツボツボでドッカン、ドッカンと天井が落ちるほどの笑い(共感の)が起こる。そして、アッと驚くサゲが用意されていた。再演をおおいに期待したい好演であった。

 −−−− よもやま噺(当席での桂あやめ  秀作 あれこれ −−−−

 ・現在の親子関係を鋭い切り口で描く        『十七才』

 ・酒を飲むと前後不覚になり、昨日の出来事を悩む  『朝起きたら』

  二代にわたって嫁と姑が息子(旦那)を取り合いする『義理ギリコミニュケーション』そして、『アタックNO一番』『マッチ売りの少女』『OH!舞ガール』の名演があった。

  大入り公演のトリは桂文珍師匠。

『円馬囃子』に乗ってユッタリと登場する姿は大物の風格に溢れている。「えー、ぎょうさん入っていただきましてありがたいことでございます。今のあやめちゃんの噺なんか聞いてますと可愛いもんでんなぁ・・・。ここは、毎年正月に出して頂いておりますが今年は野暮用がございまして3月になりました。こうして高いところから皆様方を拝見させていただいております

と、よろしいでんなぁ。のんびりとされて、日本も高齢化の波が・・・」とあいさつから爆笑を誘い、「久々に大晦日に休みがとれまして実家に帰ってきましたが、事前に電話を入れまして、父親が出て『あっ、お父ちゃんか、わしや』『知らん人や』。母親が代わりまして『切れてるわ』・・・。よう考えると最近、無線の子機を買いまして、あれ、耳と口の大きさが違わへんので間違えまんねん。そんで『口』と書いて張ってまんねん」。さらに「父親が『首でも吊って死にたい』と、あんまり言うもんで、母親が発した一言が痛烈でしたなぁ『ふーん、吊る力もないくせに』」と爆笑マクラが続く。

「その両親が最近、こってるもんがありまして・・・」と趣味の噺へ噺が展開して『軒付け』が始まる。

  楽屋入りするなり、「かかるところにシュンドウゲンバ・・・」とお馴染みのフレーズを口ずさんでおられたので「きた・・・・」という感じであった。

 ここからは、一部に自身のクスグリが入ったが、文枝師匠直伝を思わせ、基本に忠実に本格的に演じる。マクラも入れてタップリ35分の熱演に場内は大満足。大喝采のうちにサゲとなり、大入り公演はお開きとなった。                                  

  終演後はロビーにて、早くから待機されていた師匠の奥様とお嬢さんによる師匠のCDの即売会が開催。着替えの終られた師匠自らサイン付きというおまけ付であった。

             3月10日(日)午後9時20分  打ち出し   大入叶