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       第263回 公演の記録           吉村 高也
       公演日時: 平成12年 7月10日(月) 午後6時30分開演  

                 
出演者               演目
   桂   つく枝浮世根問
   笑福亭 竹 林近日息子
   桂   一 蝶いらちの愛宕詣り
   桂   文 枝悋気の独楽
    
中入   
   林家  染語楼へっつい幽霊
主任 月亭  八 方孫・エコロジー落語

  今回七月は、第二六三回公演。トリに月亭八方、中トリに桂文枝の両師匠という顔合わせとなった。

  当日は七月に入っての前売券の好調な売れ行きを反映する様に、開場一時間前からお客様の列が出来る。階段の上まで及んだお客様が、開場定刻の五時半には吸い込まれるように会場へ入場された。当日券のお客様も数多く、会場一杯に並べられた椅子も全て埋まり、立ち見も少し出る大入り満員となった(今年一月に続く大入りが出る)。

  トップは、桂文枝一門から桂つく枝師。当席は二度目となる文枝一門の若手ハリキリ勉強家で、その高座は各地の落語会で有名。『石段』の出囃子と満員の客席からの拍手に迎えられ高座へ登場。敷居でつまずくハプニングをすかさず笑いにとりスタート。

「えー、ただ今より開演でございまして、私、桂つく枝でございます。えー、桂文枝の十八人目の弟子でございまして、顔と名前を覚えて帰っていただきたいと思います」と、一門を上から順に紹介する。

** 五代目 桂 文枝一門について **      (敬称、略)

 つく枝師が紹介した文枝一門は、次の通り
@三枝(昭和41年入門)  Aきん枝(昭和44年入門し、きん枝。一時、勝枝。再びきん枝)
B文 珍(昭和44年入門) C文 太(昭和46年入門)  D小 軽(昭和47年入門)
E文  福(昭和47年入門)  F文 喬(昭和48年入門)  G文 也(昭和48年入門)
H小  枝(昭和48年入門し、枝織。昭和56年に小枝襲名)I枝女太(昭和52年入門)
J枝
  光(昭和53年入門し、小つぶ。平成9年に枝光襲名)
Kあやめ(昭和57年入門し、花枝。平成6年にあやめ襲名)L坊  枝(昭和58年入門)
M文
  昇(昭和59年入門し、小国。平成11年に文昇襲名) 
N枝曾丸(昭和
62年入門し、小茶久。平成11年に枝曾丸襲名) O文  華(昭和62年入門)
Pこ
け枝(平成2年入門)   Qつく枝(平成3年入門)  Rかい枝(平成6年入門)
S阿
か枝(平成8年入門)

  マクラはそれだけで「えー、私のほうは『浮世根問』というお笑いを聴いていただきまして、お後と交代いたしますが・・・」と本題が始まる。本人同様、登場人物も、噺も元気一杯。

  トップにはトップの噺があるのだが、喜公が甚兵衛さん処(とこ)を訪問して噺が展開する『浮世根問』は、その典型。登場人物は二人で、描き分けや場面の立体感を出す練習や、随所に考え尽くされたクスグリが入っている笑いの多い噺で、自信にもつながるのだが、一つ間違えて、例えば、自分で考えたクスグリを入れたが笑いがない場合(これを受けない、すべると言う)などは苦しい高座になるのである。つく枝師の噺は師匠(文枝)直伝通りきっちりと演じられ、全編大受けの爆笑噺に仕上がっていた。

 二つ目は、笑福亭一門から、出囃子の『やぎの郵便屋さん』に乗って笑福亭竹林師が登場し、「えー、決して怪しい者ではございません」で場内から爆笑が起こる。ここらが竹林師の得なところ。「えー、この間、ある落語会に行きましたら、そこに手作りの拍子木がありますねん。これが、ええ音しまんねん。『この拍子木、ええ音しまんなぁ』言うたら、『いやぁ、二十年干しといただけでっせ』ちゅうてはりました。・・・・私、今年で噺家生活二十年・・・・」。今度は、会場から拍手が混じっての大爆笑が起こる。そして、病院で入院患者に間違えられた話から、「今日は原点に戻って、ちょっと、脚光を浴びた時期(新人賞受賞作品)の噺を聴いていただきます。

私もこの噺は自信を持ってましてん・・・。良(え)え噺は演者が消える。私のこの噺はそうでんねん。・・・あかんのんはお客が消える。(場内、ドッカーンと大爆笑)

そして、「とりあえず、元気のええ処を聴いて頂きます」と始まったのは『近日息子』。

この噺の原点は、二代目桂春團治師匠である。その後、当代露の五郎師匠と、故六代目笑福亭松鶴師匠へ伝えられている。そして、笑福亭では、鶴光、福笑、呂鶴、鶴志の師匠連が十八番として演じられている(いずれも、元気よく押していく演じ方である)。

  竹林師のそれも、押して押して押す演じ方。特に近所の人が集って、お悔やみの相談をする場面での元気の良さは、他の師匠以上であったし、場内もそれに応えての大爆笑であった。熱演の三十分に及ぶの高座となった。

  そして、三つ目は故春蝶一門から桂一蝶師。仮分数(この表現もチト古い)の体型は舞台映えがし、今回も楽しい高座を繰ひろげられることと期待される中、『ちょうちょ』の出囃子で高座へ登場。「世界の皆様こんばんわ!」と一蝶ワールドがスタート。「私の方は気楽に聴いて頂きますように・・・。真剣に聴くと肩が凝りますので、気楽に聴いていただきまして、真剣に聴きますとアラが目立ちます・・・」。

そして、大阪弁と標準語の話へ。

@     阪神百貨店のエレベーター内でのアベックの会話

神戸顔した男前 「八階でいいの?」

大阪顔した女の子「いいんじゃないの(標準語)。長く来てないから変わってるかも知れへ

んで」

A     子供の注意の仕方

標準語「坊や、そっちへ行っちゃだめですよ。車が走ってるでしょ、危ないですよ」。

大阪弁「そっち行ったらあまんで、死んでも知らんで。」

  そして、夫婦の会話の話題から『いらちの愛宕詣り』が始まる。東京の『堀の内』と同じ噺であるが、一蝶師のそれは純上方風で爆笑噺に仕上がっていた。当然、会場は爆笑の連続であった。

 この噺を上方でポピュラーにしたのは、笑福亭鶴瓶師匠ではないだろうか。故人となられた桂小米(枝雀)、森乃福郎師匠も演じれらておられたが、両師匠のネタ数と比べて、少ない鶴瓶師匠は、この噺を数多く演じられたからだろう。

     *笑福亭鶴瓶師匠の『いらちの愛宕詣り』初見聞 **

 小生が師匠のこの噺を始めて聴いたのは入門後一年。

◎ 昭和四十八年六月九日   ◎笑福亭松鶴一門会・神戸公演

       神戸農業会館(現東急ハンズ西隣横のワシントンホテルの場所)

 出演者、演題は次の通り

『いらちの愛宕詣り』笑福亭 鶴 瓶

『裏向丁稚』        笑福亭 呂 鶴

『手水廻し』        笑福亭 鶴 光

『禁酒関所』        笑福亭 光 鶴(五代目枝鶴)

『鴻池の犬』        笑福亭 松 鶴(六代目故人)

   中  入

『三十石』          笑福亭 仁 鶴

『船弁慶』          笑福亭 松 鶴(六代目故人)

  さて、中トリはご存知、上方落語界の大御所、五代目桂文枝師匠の登場となる。名囃子『廓丹前』で会場に登場しただけで、会場からは「わぁー」との歓声と拍手が起こり、会場もグッとしまる。「えー、ようこそのおこしでございまして、今も楽屋で、今日は大入り満員やでと喜んでる次第でございまして・・・、えー日の本は岩戸神楽の昔より女無くては世の明けぬ国と申しまして・・・」と、お得意のお色気噺『悋気の独楽』が始まる。

  はんなりとしたお色気噺では第一人者の文枝師匠であるが、その中でもこの『悋気の独楽』は代表作であり、師匠が当席に出演された四十九回の高座のうち、

@     第8回公演・昭和53年11月 

A     第132回公演・平成1年3月

B     第166回公演・平成4年1月と今回で四回目の口演となる。

  二五分の高座は、大爆笑の連続であったことは言うまでもなく、お中入となった。

なるのである。

 しかし、その頃、楽屋では大変なハプニングが起こっていた。トリの八方師匠の楽屋入りが遅れていたのである。普通、楽屋入りの時間は遅くとも自分の出番の二つ前までである。今席で例えるなら、トリであれば、中トリの文枝師匠が高座へ上がる前に楽屋入りするのである。もっとも、当席の場合、神戸という土地柄(大阪からの距離)、ほとんどの演者が開演時には全員揃っていることが多いのであるが、飛び込みでヒヤヒヤすることもたまにある。

  楽屋では、よくあることなので中入までは余裕があったのだが、中入になっても八方師匠の姿が見えない。噺家はいい加減なように思われがちであるが、意外と?律義である。

一度受けた仕事をすっぽかすことは決してないのである。毎日開催されている寄席では代演はよくあるのであるが、本人も代演もない事は皆無である。

  その八方師匠が来ないのである。居所を調べるために自宅へ電話すると、電話口に八方師匠が出る。「エー? 今日かいな。八月十日と勘違いしとったわ。ごめん、ごめん。すぐ行くからつないどいて」とのこと。

すぐさま、中入を長くとる(通常、十分のところを十八分)。そして、長いしゃぎりを入れて開演となる。『鞍馬』の囃子で林家染語楼師匠が登場する。「えー私の方もよろしく御交際を持っていただきたいと思いますが、今、外は大変暑く七十二度でございまして、終わる頃には二十度とちょうど良い温度となりますので・・・」とスタート。

「今日は大入り満員でございまして、出演者一同、なんというありがたいお客様方であろうか、こんなお客様をただで帰ってもろては申し訳ないから、手ぬぐいの一枚か扇子の一本でも持って帰って貰おかと、言うた奴が今張り倒されてましたが・・・」。

「先ほど出ました竹林さんが二十年でございます。私も二十七年で、けどいつ売れるか分かりませんで、五年後に、私が売れてテレビ見ながら『ちょっと見てみ、この染語楼ちゅうの。よう売れてるやろ。けど、五年前に神戸恋雅亭で見た時は売れてのうてなぁ。終わって寿司食いに連れていったって、祝儀やったら喜んでなぁ。今でも神戸へ来たらわしに必ず挨拶しよるで』と言わせたい方は  今日がチャンスでっせ」。

「実は、八方兄さんがまだ来てまへんねん。さっき電話したら家にいてはりまんねん(場内、大爆笑)。せやから、来るまでは私はここを降りられまへんねん。あぁ、家に携帯で連絡しといたほうがよろしいで『今日は帰られへん』ちゅうて・・・。心配せんでも、今日中に来ると思いまっせ、けど、あの兄さん足遅いからなぁ・・・」とオネオネが続く。

  東京の寄席では、トリの一つ前の出番を「膝替り」と言うが、上方の寄席では、「もたれ」または「しばり」と言う。お客様を客席に縛って動けないようにする意味である。その言葉通りの染語楼師匠の高座は続く。

「えー私も、こんなことばっかりしてたら怒られますので落語を一席申し上げます。その間に到着したら知らせてもらうことになっています」と始まったのは『へっつい幽霊』。発端からサゲまで、マクラも入れて三十八分の高座。手を抜くこともなく、また、くどくも、伸ばしている様子もなくキッチリと演じられた。本当にご苦労様でした。

  そして、今回のトリは月亭可朝一門から月亭八方師匠。

昭和四十三年に入門し、ザ・パンダ、短足、阪神タイガースとマスコミに乗っての活躍はご存知の通り。今回は家から直接の楽屋入りとなる。「えー、暑いでんなぁ。かないまへんで」と八方師匠十八番の誇張の多いマクラがスタートする。

タヒチ、スイスでの珍道中の噺をした後、「実は、今日忘れてましてん・・・」と自分のミスを自ら暴露する(場内は大爆笑)。

  そして、「今日は何をしょうかなぁと思てまして、ライブの良さは世間話して高座を降りても、ええとこやね。落語演(や)ったら長くなるもんなぁ。(場内からはOKとの拍手が起こる)・・・・えー、実は八月の、『MBS落語全集』の出演たのまれまして、わたい、ネタおまへんねん」

ディレクター「何を演(や)らはりますか?」

八 方 師匠「『崇徳院』どうですか?」

D「それ、こないだ出ました」

八「『蛇含草』どうですか?」

D「この頃それ、ばっかりですわ」

八「『軒付け』は?」

D「それも、よう出まんねん」

「そんで、エコロジー落語提案しましてん。そんなもん、かけらもおまへんねんで。そんならディレクターが『それ、よろしなぁ』と決まりましてん。そんで、今日、私も、皆さんもリスク張って演(や)りますわよろしか? まだ、よう固まってまへんねん。詳しくは八月のTVを見て下さい。題して『エコロジー落語・孫』」。がスタートする。

  あらすじは八月のTVに譲るとして、固まってないと言いながら、随所に爆笑くすぐりを網羅した噺に仕上がっていた。お開きになったのは、九時半を廻っていた。八方師匠、熱演の四十二分の高座であった。大入りのお客様は大満足ながら、やや急ぎ足で会場を後にされた。

  しかし、楽屋では八方師匠のトークが延々と続いており、関係者が会場を後にしたのは十時前であった。風月堂さんの関係者の方々、遅くまでありがとうございました。(七月十日。叶 大入り)