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       第262回 公演の記録           吉村 高也
       公演日時: 平成12年 6月10日(土) 午後6時30分開演  

                 
出演者               演目
   桂   枝曾丸手洗廻し
   桂   む 雀ちりとてちん
   笑福亭 小つる竹の水仙
   桂   歌之助寝床
    
中入   
   桂   昇 蝶あみだ池
主任 桂   雀三郎帰り車

今回六月は、第二六二回公演。トリに桂雀三郎、中トリに桂歌之助の両師匠の顔合わせとなった。

 当日はあいにくの雨模様。お客様の出足を心配したが、階段の上まで及んだお客様の列が、開場定刻の五時半には吸い込まれるように会場へ入ってゆかれる。当日券のお客様も多く来場されて、いつも通りに六時半に開演。会場はほぼ満席の九分の入り。

  その中、トップは、文枝一門から、桂枝曾丸(しそまる)師。二年前に小茶久から襲名したので、この名前では当席初出演となる。「えー、ただ今より開演でございまして・・・」と開口一番襲名の由来を説明。

和歌山出身 ↓ 和歌山名物        梅干し    しそ、そして、しそまる    枝曾丸となったそうである。現名もピッタリ板に付いた感がある枝曾丸師は和歌山出身をアピールする言葉の違いから噺がスタートする。

「和歌山弁の特徴は『だぢづでど』と『ざじずぜぞ』が判らなくなることで、絶体絶命(ぜったいぜつめい↓でったいでつめい)、や象(ぞう↓どう)さん」などを紹介して、昔はちょっと離れると言葉が判らなかったと『手洗廻し』の一席が始まる。

  よく聴いたこの噺であるが、枝曾丸師もキッチリと爆笑噺として演じ、十七分の盛り上がった高座であった。

 二つ目は、故枝雀一門から桂む雀師。当席の常連であり、上方落語の正統派として各地の落語会で活躍中。師匠譲りの爆笑落語は今回も期待と会場の拍手も大きい。

「えー、ありがとうございます。二つ目は、ひらかな交じりの可愛い名前、桂む雀でございまして、どうぞ、よろしくお付き合い願いまして。」と、落語会のお客様の数と会場の広さのマクラに続いて、三百人の会場にお客様が一人で開催された寄席の話。

  そして、ガラリ変わった本題は食べ物の噺『ちりとてちん』。この噺の原話は一七六三年の「軽口大平楽」の『酢豆腐』とされている。腐った豆腐を石鹸に変えたのが『あくぬけ』、『石鹸』と改作され演じられている。上方へは三代目柳家小さん師匠の弟子の柳家小はん師匠が伝えたのが、この『ちりとてちん』の原形と言われているが、多くの噺家の工夫で全く違う噺となっているのである。

さらに、師匠の教えと随所に自身の工夫とオーバーアクションが入り、大爆笑噺となった。会場全体からドッカン、ドッカンと笑いが起こった二十三分の高座であった。

 三つ目は笑福亭一門から笑福亭小つる師。昭和五十年、五代目笑福亭枝鶴師匠に入門。師匠の廃業後は大師匠(六代目松鶴)の預かり弟子となった師でた師であるが、当席へは久々の出演(平成九年三月以来)となる。数回、実は数度、出演をお願いをしたのだが、スケジュールがあわず、見送られたきたのであるが、今回出演となり、豪放でありながら可愛い上方落語を期待の中、高座へ登場。「えー、昨日、酔うた勢いで、ちょっと風呂場で髪を染めてみまして、これでもかというぐらいの失敗でございまして・・・」と妙に変に染まってしまった髪の毛を指差す(具体的な失敗談に会場は大爆笑)。」マクラは元町ウインズ(場外馬券場)の売上金回収に行き合した話題。「そんで申し訳ないことに、着物に着替えて、もう出る間際に目ばちこれまして、もう仕分けありません。こんな頭と顔を見せまして・・。」と、断わっての本日の演題は『竹の水仙』。これが、また、絶品。初めて聴かれた方は、その噺のストーリーが面白いだろうし、小つるファンや当席常連の方にとっては多いに楽しめただろうし、枝鶴師匠のこの噺を聴いた方は、噺の運びや言葉使いが極似していることを感じられただろう。全編爆笑の連続の三十分の高座であった。

     * 当席で、演じられた『竹の水仙』について **

  この噺、元々は講談や浪曲の左甚五郎の逸話を落語流に仕立て上げられたらしいこの噺、東京では、小さん、歌丸、円窓の各師匠をはじめ多くの演じ手がおられるが、上方では五代目枝鶴師匠の十八番であった。小つる師へは師匠直伝で伝わっている。

  当席では珍しい演題と思いきや今回で五回目の口演であり、うち三回は小つる師である。

@     1982年 5月 第 50回公演  笑福亭小つる

A     1986年 8月 第101回公演  笑福亭枝 鶴

B     1988年11月 第128回公演  笑福亭小つる

C  1997年 4月 第228回公演      梅團治

  さて、中トリはご存知、上方落語界の中核、桂歌之助師匠の出演。昭和四十三年、桂米朝師匠に入門して、桂扇朝(当時、可朝、米紫、小米、朝丸、朝太郎、米蔵の各師匠に次いでの七番弟子。現在では四番弟子)。以降、各地での落語会や自身での独演会で本格的古典落語を演じ、当席でも、最近『骨釣り』『猫の災難』『ねずみ』『貧乏花見』などを熱演された。今回は何を? と楽しみな中、『たぬき』の出囃子に乗って登場した師匠は、開口一番「えー、この頃、いろんなものが流行(はや)ってますな。私の嫌なのは、あのカラオケちゅうんですか、あっ、すんまへん。場内に好きな方はいらっしゃいませんか?・・・」と、カラオケの話題からスタート。そして、昔のお楽しみの浄瑠璃の話題へと移る。

  歌之助師匠の演題は『寝床』。この噺は師匠が若い間から演じている、十八番でもあり、御自身も好きな演題であろう。小生のライブラリーの中には、師匠入門四年目の昭和四十七年一月の「上方FM寄席」での、この『寝床』がある。

  最近、とみに、従来の引くような芸風から押して押すような芸風が変わった感のある師匠であるが、この『寝床』もそうであった。先ほど亡くなられた枝雀師匠を彷彿とさせる熱演は三十八分であったが、長さを感じさせない爆笑の連続の高座で、お中入となった。

  汗を目一杯かいて着替えてきた歌之助師匠が満足げに楽屋へ帰ってきて楽屋のメンバーと雑談。

  ホールが落ち着くのを待って、シャギリの太鼓と笛が入る。いつもの三分の一の時間で、チョン、チョンと祈の音が入って、故春蝶から受け継いだ『馬かけ』の囃子に乗って桂昇蝶師の登場。

 故春蝶一門の総領弟子、その恥ずかしそうで、どことなくほのぼのとした芸風は入門当時(前名 さなぎ)から変わらない。今回もそのほんのりとした高座が期待出来る。拍手に迎えられ、はやり、どことなく恥ずかしそうに座布団に座る。「えー、しばらくの間お付き合いを願いますが、あー昇蝶申しまして、えー名も無き噺家でございますが、えー、そない長い時間するわけやございませんで、時間にしまして八時間半程、喋らして頂きます。えー、これは、六代目松鶴師匠のよく言われておりましたつかみでございまして、『時間にしまして八時間半』そない喋れるもんではございません・・・」と言いながら自分の経験した民謡の発表会の司会で八時間半仕事をした話から、考えたマクラを喋る。これが、また、面白い。間違ってもテレくさそうに続ける噺が会場からクスクス、ハハハと笑いがもれる。ここまで五分。

**  楽 屋 ・ ミ ニ 噺   **

雀三郎師「お疲れ様でした」

春 駒師「熱演でしたなぁ」

歌之助師「(汗を拭きながら)いやぁ、嬉しかったからね。乗ってしもたから、ちょっと長かったか?」

春 駒師「昇蝶!短こうせいよ。皆、長いわ。四人で二時間やで。後の二人で三十分
     しか時間ないで。お前、十分で降りてこなあかんで。」

雀三郎師「ところで、何、演(す)んねん?」

昇 蝶師「『あみだ池』に演(し)ますわ。けど、兄さん、十六分はありまっせ。
     今日のために考えたマクラもやりたいし、もっと長ごうやらしてえなぁ」

小  生「ところで、師匠(雀三郎)は、何を?」

雀三郎師「そやねん、困っとってなぁ。季節感でちょっと早いかなと思たんやけどな
    『遊山船』と思とってんけど、吉朝やんが先月(五月)演(や)ったやろ。
     五月は、なんぼなんでも早いで。そんで、『饅頭怖い』と思ってネタ帳くったら、
     これも、松枝兄さんで出てるし・・。それで、『帰り車』演(や)るわ。」

  そして、新聞に載っていたアメリカのハイジャックを扱った小噺。「・・警察電話せい。というようなことが、あったとさ。(会場からアハハの笑い声)あかんわ、やっぱり、も一つやったなぁ。(会場は爆笑)パン。こんちわ、お、お前か(会場は大爆笑)・・・」と『あみだ池』が始まる。ここまで八分。実にほんわかとした高座が続く。

 本題も随所に師匠らしさが溢れた高座であった。本題は十三分と約束を守って二十一分で?、トリの雀三郎師匠と交代する。

 昭和四十六年、桂小米師匠に入門し米治。師匠の枝雀襲名と同時に雀枝と改名したが、師匠の名前と似ており紛らわしいので、すぐ雀三郎と改名したのはご存知の通り。

  当席のトリも今回で六回目。『親子酒』『G&G』『らくだ』『哀愁列車』『帰り車』と過去の演題も古典、創作と幅広くトリの重責もすっかり板に付いた感がある師匠。今回も芸風ピッタリの『じんじろ』の囃子で跳ように高座へ登場。

「えー、もう一席聴いていただきまして、おしまいとこういうことになっておりまして、明治から大正にかけては人力車というのが街の足になっていたようで・・・」とマクラも振らずに、さっそく本題の『帰り車』へ入る。

  この噺、落語作家の小佐田定雄先生の作品。雀三郎師匠を知り尽くした先生の作品だけに師匠の工夫がプラスされ十八番となっている。当席でも昭和六十年、六十二年、平成八年についで今回が四回目の口演となる。

  仕事にあぶれ帰路についた車夫さんにお客が付く。そこから、次々に無理難題が、その都度、乗り越えるのだが、段々と過酷になって、最後はアッと驚く見事なサゲとなるのである。

 熱演が続いた六月公演も定刻の九時を約二十分オーバーして、無事お開きとなった。  帰路に就かれるお客様の様子は好演・熱演・名演に満足げな笑顔に包まれていた。                      (平成十二年六月十日)