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       第257回 公演の記録           吉村 高也
       公演日時: 平成12年 1月10日(日) 午後6時30分開演  

                 
出演者               演目
       米 左道具屋
   桂   春 雨ふぐ鍋
   桂   楽 珍こんにゃく問答
   桂   春團治祝のし
    
中入   
   笑福亭 鶴 笑パペット落語西遊記
主任 桂   文 珍星野屋

2000年を何事もなく迎え、はや十日。新春初席の第二五七回公演はトリに上方落語界の大物、桂文珍師匠。中トリに「華麗な三代目」桂春團治師匠で開催されました。

  年末の「光の祭典・神戸ルミナリエ」以後、年末年始も人通りの増えた元町本通りは、正月もその賑やかさを保ち『もとまち寄席・新春初席』の前売券の販売状況も絶好調。その影響は当日まで続き、「券はありますか?」の電話があいついだ。

  十日は、今年から実施されたハッピーマンデーで成人の日と重なり、いつも以上に、お客様の出足はすこぶる好調。開場を待たれるお客様の列がついに入り口をオーバーし、本通りへ達した。

  定刻の五時三十分の開場と同時に、すぐさま、前列の方から席が埋まってゆく。六時過ぎには用意した席もほぼ埋まり、当日券の販売を一時ストップし様子を見る。開演の六時半には、四ケ月連続の満席。その後も来場されるお客様が続いて、立ち見が出る大入満員札止めとなった。

  大入り公演のトップは、人間国宝、桂米朝師匠直弟子の桂米左師。師匠同様の丹精な顔立ちと共に、落語は本格派で、当席へは三度目の出演。

『石段』の出囃子に乗って高座へ登場した米左師「えー、ありがとうございます。えー『もとまち寄席』でございまして、戎さんの忙しい日にわざわざ御来場いただきまして・・・」とまずは、ご挨拶。続いて、最近ブームの古美術鑑定の話題。そして、古典落語の定番『道具屋』の一席。

  師匠直伝の噺だけに、マクラからクスグリ、口調もキッチリと。特に手の動きや目の使い方は師匠と瓜二つ。会場も聞きなれた前座噺であるが、最初から大受け。トップの重責を果たしてお後と交代。

  二つ目は、春團治一門から桂春雨師。「落語界の貴公子」も入門十六年の立派な貫禄。師匠譲りの艶っぽい噺を期待の中、

「えー、あけましておめでとうございます。かわりあいまして、私、春雨の方でお付き合い願いますが、あの、今日は早くから当日券が売り切れまして・・・今、表では今日せっかく来たのに入れなかった人の怨念が渦巻いております。中は安全地帯です。その方の分まで多いに笑っていただきたいと思いますが・・・今日は成人の式で・・・こんなことを言いながら何を喋ろかなぁと考えてるわけでございますね。『行く先々の水にあわねば』と申しまして、例えばここに男の人ばっかりな時はどんな噺をするかというと・・・助平な噺・・・。今日はしません。また、子供さんの多い時は動物の出てくる噺。女の人の多い時は食べ物の出てくる噺。目つきの悪い人が多い時は泥棒の噺をしてみたり・・・今日は泥棒の出てくる噺・・・嘘ですよ・・・それでは、今日は女性の方が多いので食べ物の噺を」とつないでの今日の演題は『ふぐ鍋』の一席。林家一門からの口伝らしく、もっちゃり、こってりと演じる。もちろん大橋さん(故三代目林家染丸師匠の本名は、大橋駒次郎)が主人公であった。

  そして、三つ目は、文珍一門の筆頭弟子、桂楽珍師が登場。鹿児島県徳之島出身で、入門十八年だけに上方落語もすっかり板に付いきた師、マクラから大受け。「今年は正月から神戸三宮の国際会館で仕事ですわ。出ていって、えー『楽珍』です。言うたら、どっと受けまんねん。神戸は相性良(え)えなぁと思てね。後で聞いたら、三ノ宮に『楽珍』いう居酒屋といっしょやで笑ろてたんですわ。吉本はえげつないから、舞台の合間にそごうでのビンゴゲームの司会の余興を入れてまんねん。掛け持ちですわ。」の話をマクラに笑いをとり、「今日はあんまりマクラをしてられまへんねん。私なんかよりもお目当てが後に控えておられますので・・・」と『こんにゃく問答』がスタート。

 中トリは、上方落語界の大御所、三代目桂春團治師匠の登場です。今回は特に落語CDの「春團治三代」の発売に合せてぜひにとお願いしての出演となりました(CDの音源は当恋雅亭での口演が中心です)。

  本日もあーちゃん(奥様)ご同伴で楽屋入り。さっそく、CDへのサインの依頼が届く。「えー、今からあーちゃんと飯行こと思とったのに、どれだけ・・・えーこんなあんの・・・あーちゃんちょっと待っといてな」とおっしゃりながらもサインをさらさらとされる。

  その三代目、万雷の拍手で迎えられ、高座へ登場。「大勢のお運びで厚く御礼申し上げます。えー私の方はあいかわりません。馬鹿馬鹿しいところを聴いていただきまして失礼をさせて頂きます。えー(約0.5秒の空白。この瞬間にネタが決まる)我々同様というこのたよーんないのを一枚ひっぱりだしますと、まぁお笑いが多そうでございまして、おい、かか、かか・・・」と十八番の『祝のし』。(実はこの噺だけが、実父であり師匠にあたる二代目桂春團治師匠からの口伝である。ちょっと意外。多くは立花家花橘師匠から、『代書屋』『親子茶屋』は桂米朝師匠からの口伝である)

 さすがにい、手慣れたこの噺、きっちりとつぼ、つぼで爆笑が起こるところはさすが三代目である。

  さて、中入り後は、現在、上方落語界にあって、世界へ飛び立つ芸を持つ笑福亭鶴笑師。

昨年七月に世界最大の「モントリオール・コメディ・フェスティバル」にも参加の「パペット落語」を初出演の新春初席で披露の運びとなり、ドンガ、ドンガラガッタと「ハリスの旋風(かぜ)」の出囃子で登場。

  さっそく、長い間出ていないので、提灯がなかったと笑いをとる(実は初出演)。松鶴師匠との思い出噺を披露する。「うちの師匠の教えは『芸人は遅刻するな!』でしてん。けど、若いから遅れまんねん」「正直に、『寝坊しました』言うたら『アホか、やめてまえ!』と怒られまして。又遅れましてん。今度は『向かい風が強うて遅れまして』言うたら『そら、しゃあないながな』」(場内は大笑い)

  「こら、ええわと思てね。翌日、また『向かい風が強うて』言うたら『二回も使うな、バカ』て、怒られまして。ほんで、『チューインガム踏んで動けませんでしてん』言うたら、『そら、早よう来たほうやなぁ』」さらに、修業時代の話題。師匠の看病秘話。これが、受ける。受ける。そして、「今日はこれすんな。と言われてましてんけど、・・・します」と、パペット落語『西遊記』の始まり、始まり・・・これは、絶対見る落語。孫悟空の登場から場内は爆笑の渦。如意棒の出現。上空へ上がる悟空、大きくなる妖怪。変身する悟空。血を流す妖怪。その都度、場内は拍手と爆笑の連続。読んでいる方にはお分かりいただけないだろうが。
   へとへとになっての十五分の高座であった。大満足の客席の大喝采に送られてトリの文珍師匠と交代。

  そして、今回のトリは、今、古典落語で最も乗っていると評判の桂文珍師匠です。先ごろ発売された『落語』のトップを飾っているのは、そのあらわれといえるでしょう。当席へは、96年6月、97年5月、98年1月、99年3月と年に一度のペースで出演、いずれも上方古典落語を演じておられ、今回も期待大の中、超満員の客席の拍手に迎えられ高座へ。「えーありがとうございます。まことに楽しい鶴笑さんの・・・(笑)えー、あんな後はやりにくうてしゃあない。まあ、しかしながら、・・・(思い出しながら)あんな、あほな芸が・・・」そして、「阪神淡路大震災から、もう、五年・・・まだ、五年。というところでしょうか。町並みを見ると、もう五年で、預金通帳を見るとまだ、五年というところでしょうか。私も灘区の自宅で嫁はんと別々に寝ておりまして、地震後はいっしょに寝ております。これも二次サイ害かと、サイ害のサイという字は妻という字を書くのでございますが・・・」(大爆笑)

  「さて、私は兵庫県の丹波篠山出身で、今は灘区に住んでおりますが、今ほど兵庫県人であってよかったなぁと思ったことはございません。と、と言いますのは、大阪府民でなくてよかったなぁ。(大爆笑)あんまり、よそへ行って言わんように、言うたらあきまへんで。東京はミレニアムで大阪はノックアウトでございます」(大爆笑)

  「おっさん、なに、すんねん。ほんまに、私は出来んと思てたんですがやっぱり、蛸ですわ」とマクラは続く。

  そして、NHK教育テレビでの『人間講座・文珍流落語への招待』(毎週木曜日、午後十一時より放映)の宣伝をタップリとしてから、「おじいちゃんはおばあちゃんが亡くなると後を追うように亡くなるのに、おばあちゃんは・・・・(笑いがおこる)感のエエ人が多いですね。そうです、この後はもう言いませんが・・・。昔はそうやなかったんで、男がいばって、好きなことを、おてかけはん、てなぁことを言いました時代は・・」

と、『悋気の独楽』か『欲の熊鷹』などの噺かと思っていると、「お花、いてなはるか?」「まあ、旦はんお久しぶり、どうなさったんでございますか?」と始まった。『星野屋』である。

この噺は、元々は上方噺であった。現在では、東京ではポピュラーであるが、上方では当代の染丸師匠が『五両残し』として演じられておられるだけの大変珍しい噺となっている。発端から、無理なく噺が進む。登場人物も多彩で、いずれも文珍流の演出で、爆笑の連続。三十五分を越える熱演で、大入り満員の客席も文珍師匠も大満足の高座であった。

                                 (平成十二年一月十日 叶 大入り)