公演記録目次へ戻る


       第254回 公演の記録           吉村 高也
       公演日時: 平成11年10月10日(日) 午後6時30分開演  

                 
出演者               演目
   笑福亭 瓶 吾 いらちの愛宕詣り
   笑福亭 仁 昇 延陽伯
   露の  都  子はかすがい
   笑福亭 鶴 瓶化物使い」
    
中入   
   桂   九 雀寄合酒」
主任 桂   歌之助骨釣り

九月の公演も無事お開きになって、今回はさわやかな十月公演を迎えた。今回は、中トリに上方落語界で最も忙しい師匠、笑福亭鶴瓶師匠が登場します。

 十月十日は日曜日。各新聞への、掲載が、あいまって前売券の売れ行きは絶好調。その影響は当日まで続き、「当日券はありますか?」の電話がひっきりなしにかかる。当日は、晴天で絶好のお出かけ日和になり、元町本通りの人出も絶好調で、出番の提灯に目をやる人から「鶴瓶来んねんて」「鶴瓶見たいなァ、券はあるんやろか?」との会話が聞こえた。

当席への出足もすこぶる好調。五時二十分には、開場を待たれるお客様の列が、ついに本通りまで溢れて、定刻の五分前の開場となった。すぐさま、前列から席が埋まってゆき、開演の六時半には、満席の大入り。その後も「立ち見でもええで、入れて」と来場されるお客さまが開演後も続いた。

  大入りとなった、この日のトップは、当席初出演の笑福亭瓶吾(びんご)師。鶴瓶一門からは、晃瓶、純瓶、達瓶、瓶太、銀瓶の各師についで六人目となる。瓶吾師の余芸は、その芸名の通り、ビンゴゲームの司会だが、本業の落語は、各地の落語会で活躍中。今回は師匠と同じ高座とあって、喜んでの出演となった。

  その瓶吾師が、和女嬢の弾く『石段』の出囃子に乗って、やや緊張ぎみに高座へ。「えー、初出演で嬉しい・・・会場へ着いたら、入り口に私の提灯も有りまして・・・」と、ほとんどマクラもふらずに本題へ。今日は『いらちの愛宕詣り』の一席。十五分を一生懸命に演じられた。

「いやぁー、緊張しましたわ。けど、怖いお客さんですわ、よそやったら、ちょっとタイミングはずしても受けるとこでも、ここのお客さんは笑ってくれません。しかし、自分で判りますねん。うまいこといった瞬間は、ここの反応はドッときますねん」と瓶吾師の感想であった。

二つ目も笑福亭一門。仁鶴一門の明るくて、たのしい、そして、ほんわかとした上方落語を演じる笑福亭仁昇師が『鉄道唱歌』の出囃子で登場。

  日本語の乱れをマクラにふって、師匠直伝の『延陽伯』へ。この噺は仁鶴十八番の一つである。現在まで数多くの仁鶴師匠の高座を聴いてきたが、今日の仁昇師の高座を聴いて、師弟は実に良く似るものだと感じた。現在の仁昇師が入門十五年目の三十七歳。仁鶴師匠の三十代後半は昭和五十年前後である。その頃(今から二十五年前)の師匠のテンポ、間、語り口と実に良く似ているのである。場内大爆笑が続くうちに交代となった。

  三つ目は、上方落語界の女性噺家にあって最古参(もっとも、まだ四十代とお若い)の露の都(みやこ)嬢の登場(出囃子は『都囃子』)。あやめ嬢が創作落語一本であるのに対して、都嬢は古典と古典をアレンジした噺(『青菜』の旦那さんを御寮人と改作して、演じられた)を楽しく聴かせてくれた。

 さて今回は、と期待の中「えー、私も二度目の結婚で子供が六人になりまして、子供にはよく教えてもらうことが多いようで・・・」と子供の話題から、本題の『子はかすがい』へ入る。この噺は、五郎師匠の前で演じて師匠をして、「ようここまでがんばった」と泣かせた、自信の一席である(詳しくは神戸新聞を)。

  東西で多くの演者の手にかかっている大物中の大物の噺を、女性の目から見て演じられた噺は、随所に工夫の跡が見られる。満員のお客様も聞き惚れた一席であった。(私見だが、次の出演の鶴瓶師匠の登場を期待して待つお客様の前では、ちょっと重い噺ではなかっただろうか?)

*落語ミニ情報   落語『子はかすがい』について

 この噺は大きく二つの型がある。東京で演じられているのは、子供と別れて出て行くのが、父親である。一方、上方では、子供を残して出て行くのは父親ではなく、母親である。

  この噺は、『子別れ』として明治時代に創作されたらしく、上・中・下に分けて演じられることが多い。その下が『子はかすがい』である。東京では、故人では円生、志ん生、馬生、可楽、柳橋、現役では小さん、志ん朝、円楽、小三治、円菊、小朝などの師匠連が演じられているテープが残っている。

  一方、上方へは、明治時代の落語の租、三遊亭円朝師匠が「女の子別れ」と改作されたものが、四代目笑福亭松鶴、五代目松鶴、六代目松鶴の各師匠に口伝された。また、五代目師匠から松之助師匠に口伝されており、両師匠(六代目松鶴、松之助)のテープが残っている。さらに、今回の都、当代文我師匠は演じる型は東京の型であることを付け加えておきたい。

     この情報は小生が大変お世話になっている、「落語界の御隠居」である戸鹿里(とがり)次様にご教授頂いた。

  そして、中トリは、上方落語界で最も忙しい、笑福亭鶴瓶師匠の登場となった。師匠の落語への情熱にはいつも頭が下がる。今回も大変お忙しい中、「中トリなら時間が取れるから」と、快諾をいただいての出演となった。

 「えー、この間、米朝一門会に出演させてもろた時に、急にコブラ返りになりましてね・・・」と、いきなり鶴瓶噺がスタートする。

  そして、体験した怖い噺を紹介(やはり、鶴瓶噺は生が最高。文章では、その面白さが伝えられない)。今日の本題は『化物使い』。

 この『化物使い』は、大正時代に創作された比較的新しい噺である。故三代目桂三木助師匠や、直門だった入船亭扇橋、七代目春風亭柳橋の両師匠、五代目柳家小さん、故八代目林家正蔵、故五代目古今亭志ん生、古今亭志ん朝師匠など、多くの演者によって語り継がれているお馴染みの噺である。

 実は、この噺を鶴瓶師匠は、平成七年七月の震災再開後の二回目公演の第二○三回公演で、右記の噺を母体に、落語作家の小佐田定雄先生との合作により改作され演じられている。今回と前回とを聴き比べてみると、随所に変化がみられた。場内は大爆笑の連続で中入りとなった。

 舞台を下り、次の仕事へ大急ぎで向かわれた師匠であった(翌日、師匠から直接、「ええ、お客さんやったわ。また、出してな」との電話を頂いた。

 中入り後のカブリは、故枝雀一門から桂九雀師匠。長い顔と笑顔で、神戸新開地の『かぶっく寄席』の中心として活躍中ですので、ご存知の方も多いと思います。今回も愉快な上方落語を、と期待の中、高座へ登場。

さっそく、「えー、あと二席でございまして、あと二席ということは、あと二回しか笑うチャンスがないということです。心して聴いて下さい。私のほうは、お酒のお噂を・・・」をと『寄合酒』がスタートする。これが、実に面白い。場内は、爆笑に継ぐ、爆笑で、同門で、叔父弟子にあたる歌之助師匠と交代する。

  さて、今回のトリは、米朝一門の中軸、桂歌之助師匠が久々(平成八年二月の第二一○回公演。演題は『ねずみ』)の出演(トリでは初出演)。

  歌之助師匠は、師匠直伝の噺はもちろん、どっしりと落ち着いた口調でどことなく、東京の噺家を感じさせる。そして、演題は豊富。今回もトリにふさわしい、どんな上方落語を聴かせてくれるかと期待の中、高座へ登場。

  「えー、私、もう一席のお付きあいでございまして、実は、久しぶりの神戸でしたから、早めに家を出ましてん。早く着きましたから・・・」。市役所の屋上から、南京街や元町本通りの話題で、「さぁ、もう疲れたから、帰えろ。そや、今日は何しに来たんや、と気が付きまして、ここまで着いたという訳で・・・」から、当席入り口での話題を経て、本題の『骨釣り』へ。

  東京の『野ざらし』と同じ趣向の噺であるが、東京の『野ざらし』が作品(作者は、二代目林屋正蔵師匠?)が、因果応報・功徳と仏教思想が入った怪談噺風の落語であったのを、初代三遊亭円遊師匠が爆笑落語に改作され、現在まで数多く演じられているのに対して、上方色がタップリ入った演出は、永らく埋もれていたのを米朝師匠が復活させた。

  当席では今回で四度目になるこの噺は、過去、桂べかこ、桂春駒、桂喜丸の三師匠によって演じられている。

  もちろん、歌之助師匠のこの噺は、師匠直伝。入門後、即から取り組まれている噺だけに、大阪の木津川の様子を説明してから噺が始まり、途中でのお囃子さんとの息もピッタリで、要所、要所で場内は大爆笑が起こる。

  最後は石川五右衛門の骨が現れてサゲとなった。会場を後にされるお客様の顔も満足げな十月公演であった。 

 (叶 大入り)