第252回 公演の記録 吉村 高也 |
公演日時: 平成11年 8月10日(火) 午後6時30分開演 出演者 演目 桂 こけ枝 「子ほめ」 |
七月の第二百五十一公演は熱演が連続する中、無事お開きとなって、今回は猛暑の八月・第二百五十二公演です。
夏休みで元町商店街の人通りも多く、いよいよ夏本番で、開場を待つ多くのお客様が並ばれた中、定刻の五時半に開場。今月も先月同様、じわじわと会場が埋まっていくお客様の出足のパターン。そして、六時半の開演時には、後方にわずかに空席が残る九割の入りとなった。 トップは、文枝一門から名前と風貌がこれほどマッチした噺家はいない(失礼)桂こけ枝師の登場。愛敬のあるお顔は、上方落語界でも三象師と双壁(これまた失礼)。震災前、文枝師匠が恋雅亭へご出演の際は必ずお伴され、つく枝師と並んで、師匠の高座を袖から勉強されていたのを昨日の事のように思い出す。今回は満を持しての初出演となった(ちなみに、こけ枝師は平成二年入門で、同期には鶴瓶一門の笑福亭瓶二師がいる)
『石段』の出囃子で登場した、こけ枝師。会場はその風貌(?)に沸く。「えー、私、桂こけ枝と申しまして、こう見えましても、若手でございます。文枝一門でも、私の下はあまりおりませんし、年齢も三十二歳の若さでなんですけど、そう見てくれません。こないだも母親と一緒にわたいのネクタイ買いに行きましてん。母親ももう六十越えてまっさかいに、たまには親孝行やと思てね。店員さんが一言『よろしいね、御夫婦、仲が良うて』」
そして、スーッと『子ほめ』の一席に入る。
さて、その『子ほめ』を演じる、こけ枝師であるが、これだけの多くて、質の良いお客様を前にすると、どうしても自分の工夫を噺の中に入れたくなるところであるが、基本に忠実にキッチリ演じられての二十分。 トップの出来不出来が落語会の盛り上がりに大きく影響するので結構であった。 二つ目は、染吉から師匠の前名と出囃子(藤娘)を継いだ、林家染二師。師匠譲りの大ネタ『天下一浮かれの屑より』や自作の創作落語を演じられる師であるが、基本は林家一門の伝統、もっちゃりした上方落語(それにプラスしてやや、オーバーな表情と演出は健在)
今回は本題に入る前に爆笑マクラのオンパレード。速射砲のように、オルセー美術館、甲子園球場の応援風景、ヨーロッパでの染丸師匠の失敗、自身の宿替えの話。会場を大爆笑させて『宿替え』の一席に入る。
頼よんないおやっさんとしっかりものおかみさんとの会話や一人でのろける処など、随所に東京の『粗忽の釘』とは一味違う、上方風の演出がぷんぷん匂う爆笑噺であった。 * ***落語ミニ情報・其の一(昭和五十九年入門組)(あいうえお順)**** 昭和四十九年、六十一年、六十二年、平成三年に続き、今回は昭和五十九年入門門者をちょっと紹介。 ・桂 三 風(本名 竹田俊英。桂三枝師匠に入門。世界一周も経験した行動派。落語は創 作落語に意欲を示す) ・桂 文 昇(本名 上国料浩。五代目桂文枝師匠に入門し、小国。昨年、師匠の「小の付く のは小を取る」方針で文昇を襲名。古典をキッチリ演じる勉強家である) ・桂 米 左(本名 木村 佳。桂米朝師匠に入門。太鼓などの勉強や、古典芸能や大衆芸 能等も落語の勉強だと努力している。各地の落語会でも活躍中) ・桂 米 裕(本名 吉田弘之。桂米朝師匠に入門。上方落語界で只一人の僧名を持つ) ・笑福亭鶴 笑(本名 金田久和。故六代目笑福亭松鶴師匠に入門。小道具や人形を使った、 ちょっと変わった芸風も板に付いて、最近は海外公演も実施するところまでき た) ・笑福亭晃 瓶(本名 広田 勝。笑福亭鶴瓶師匠に入門。一門では兄弟子の笑瓶の下の二番 弟子で、実質の纏め役である) ・笑福亭純 瓶(本名 松村知明。笑福亭鶴瓶師匠に入門。レポーターでも活躍中であるが、古 典落語へも意欲を持って取り組んでいる努力家である) ・笑福亭仁 昇(本名 越智良夫。笑福亭仁鶴師匠に入門。仁鶴一門では末弟であり、仁鶴師匠 からも数多くの噺を伝授されるなどの愛弟子である) ・笑福亭達 瓶(本名 一井滋人。笑福亭鶴瓶師匠に入門。現代センスで古典落語に真剣に取り 組む) ・笑福亭福 輔(本名 中野豊司。故六代目笑福亭松鶴師匠に入門。実年齢よりも落ち着いて見 えるのを生かしての落語は結構である) ・林家 染 二(本名 吉田忠史。四代目林家染丸に入門し、染吉。昨年、師匠の前名(入門当 時の師匠の芸名の染二を襲名) 『せり』の囃子で会場の雰囲気がガラッと変わる。会場内の大学の落語研究会の一団(十三人)から人一倍大きな拍手に迎えられて桂文我師匠の登場となる。 落語会の掛け声、歌舞伎の掛け声の話から、浄瑠璃の掛け声の話題に。 昔は「後家殺し!」とか「どうする、どうする」とかの掛け声を掛けたもので・・・と浄瑠璃の本題に関連する話題から『後家殺し』の一席が始まる。
この噺、上方噺であるが、永らく埋もれていたのを文我師匠が復活した噺。東京では故三遊亭円生師匠の独壇場であったが、非常に珍しい噺となってしまった。 ちなみに、円生師匠の『後家殺し』は、
・74年2月、TBS お好み寄席(74年は再放送) ・77年8月、CBSソニー円生百席 第85席 ・78年5月、第121回 TBS落語研究会 ・79年7月、第 32回 横浜落語会 の四種類の録音が残っている。
もちろん、当席では初めて演じられる噺である。 登場人物も少なく、色事の話をじっくり聞かす非常に難しい噺であるが、師匠は落ち着いて・・・客席もシーンとして聞き入っている。 後半噺は、とんとんと進んで「後家殺し」とサゲとなる。
そして、中トリは、五代目桂文枝師匠。昭和五年生まれの師匠だが、六月には東京の「文枝の会」で『七度狐』をネタ下しされるなど「今、最も充実されている」と言っても過言ではないだろう。
『廓丹前』に乗って、万雷の拍手に迎えられ高座へ登場。さっそく本題の、文枝十八番の『船弁慶』。雷のお松っさん、活け殺しのお囃子との息もピッタリで、弁慶と友盛の祈りも結構。夏の上方噺の大物をタップリと三十分。大満足のうちに、お中入りとなる
中入り後は、神戸市東灘区在の露の團六師匠。五郎一門のもっちゃりした芸風と大学の落研出身というシャープな頭脳で繰り広げる上方落語に、今回も会場が大いに期待する中、師匠(露の五郎師匠)も初代春團治師匠の愛用の、実に上方らしい賑やかな出囃子の『かじや』で登場。 この囃子は團六師匠が五郎師匠から譲り受けたと御本人から伺った。「私が、ここに名前も書いていただいておりましてね、何を隠しましょう知る人ぞ知る、そのかわり、知らんもんはこっから先も知らんという、当たり前でございますが、露の團六さんでございまして、決して悪気があってこんな事やってる訳やないので、ほんの出来心でやっておりますんで・・・」と自己紹介。
そして、高校野球、阪神のブロアーズ解雇の話、上方(落語界)の噺家の生活の実情を笑福亭T林師、桂I(アイ)蝶師、師匠の奥さんの話で紹介する。
さらに、すき焼きを食べている弟子と師匠の奥さん(故松鶴師匠や現春團治師匠では「あーちゃん」と呼ぶが五郎一門では姉さんと呼ぶ)の会話を紹介。 姉さん「(美味しそうに食べる弟子に)あんたら、この肉なぁ、おいしい、おいしい、と食べてるけど、 私、よう食べんわ。けったいな肉やで、包み紙に『ただし、バギュウ(但、馬牛)』て買いてあ る。これ、馬と牛のあいの子の肉やで、あんたら、レオポンて、おったやろ、あれ、食べてる ようなもんやで」 團六師「どこに、書いてまんねん。・・・(包み紙見ながら)姉さん、これ、但馬牛でんがな、最高級 の肉でっせ」 姉さん「ほな、私も食べよ」
と、マクラが続く。うまくつないで、昔懐かしい見世物小屋の話題へ。見に行ったのは「蛇娘」「ターザン」でうまく騙された話題へ入る。 この時点で、演題に『一眼国』が浮かぶ。
この噺は五郎師匠の十八番であるが、五郎師匠は東京の師匠である、故八代目林家正蔵師匠からの直伝であり、正蔵師匠や五郎師匠は前に『鬼娘』を付けておられたので、團六師匠もそれを踏襲されていることになる。 そして『一眼国』の一席が始まる。師匠直伝されたとあって、つぼ、つぼで爆笑が起こる。 元来が東京落語であるので、上方では、珍しい演出であるが違和感はないのは、團六師匠が自分のものにしている証拠であろう。 さて、今回のトリは、枝雀一門の桂雀三郎師匠。弟子の雀喜(じゃっき)師も当席へ初出演されたが、師匠はもう常連。今回も数多い演題から何を聴かせて頂けるか、その表情と頭の光具合と合せての名高座に期待が集まる。
いつものように軽快な『じんじろ』に乗って雀三郎師匠。「えー、私(わたくし)、もう一席でお開きでございまして、今まで笑ってないお客様は、これが最後のチャンスでございます。ここを逃したらもうありません」とアルカリ(雀さん製・ジャクサン製・弱酸性・アルカリ)落語のスタート。
今日のマクラはお酒の噺。まず、会場のお客様に、酔ったふりの講義を。ポイントは目の形、首をときどきガクッと落とす、ろれつの廻らないしゃべり方だと会場全体へ。 そして、「酔った」と言っている人は酔ってないし、「酔ってない」と言っている人は酔っている。とお酒の話題が続く。
そして、若い人と老人とは酔い方が違うと酒のマクラから『親子酒』が始まる。
亡き枝雀師匠直伝であろうこの噺を、キッチリとそして、要所、要所にに雀三郎師匠独自の演出を加えての演じる。爆笑につぐ爆笑の名高座。 お客様も演者共、大満足のうちにお開きとなる。 |