もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第247回
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 公演日時: 平成11年 3月10日(水) 午後6時30分開演
  出演者      演目
    桂   文 時
「 犬の目
  桂   米 平猫の茶碗
   はな  寛 太  漫才
      いま  寛 大
  立花家 千 橘 「 一文笛
    中入
  
笑福亭 仁 福 「 寝床
   桂   文 珍 「 宿屋仇(主任)
                  

 「不景気を笑いで吹き飛ばそう!」を合い言葉に始まった、1999年の「もとまち寄席 恋雅亭」。一月、二月公演に続き、今月も叶大入りのもと、トリに桂文珍、中トリに立花家千橘師匠を迎えて開催された。
引き続いて、前売りの出足も絶好調で、約百二十枚強を販売。事務局への電話問い合わせも三月に入って「前売券は残ってる?」「会場へはどう行ったら?(もう二十年以上開催しているのに、まだ新しい落語ファンが近くにいらっしゃる)」など前評判も絶好調。
 そして、暖かい日が続いて春本番か?と思っていたら、寒さが戻ってきた感じの当日は、平日にもかかわらず、開場前すでに、約七十名のお客様が列をつくられた。五時半にいつも通り開場。気持ちとしては、寒い中をお待ち頂いており、早く開場したいのだが、今回も時間厳守。
 さて、開場。そして、一番太鼓が入り、活気溢れる場内へ次々とご入場され、席が埋まっていく。 お客様の来場のペースが衰えることのないまま、二番太鼓・着到(ちゃくとう)が鳴り、定刻の六時半開演。その後も続々と来場されるお客様。目一杯並べた椅子もついには一杯となり、立ち見のお客様が出て、先月、先々月に続いての満席となった。せっかく御来場頂いたが、お入り頂けなかった方も二名様いらっしゃった。
(申し訳ありませんでした)。

 「石段(いしだん)」の囃子を、和女、正子の三味線が奏でる中、トップバッターとして、当席へ二回目の出演となる桂文時師が、満を持しての登場。満員の会場から盛大な拍手が起こる。(今回のトリの桂文珍一門では、楽珍・珍念の両師についでの三番弟子。昭和六十二年入門のキャリア十四年)
 開口一番、「えー文時と申しまして、こういう字を書きます。これで『ぶんどき』と読みます。私の名前一度でも聞いたことのある方?」会場から拍手。「では一度も聞いたことのない方?」 会場から拍手。
 「さようなら」・・・・「こう見えても 私。TVのCMに出ております。それも全国ネット」。会場から「うーそ」の声「嘘ちゃいまっせ。そのコマーシャルは『ラッパのマークの正露丸。』あのラッパの中に入っているのが私・・」
 そして、マクラは続く。師匠に教えてもろた小噺。
* 落語ミニ情報・其の一(昭和六十二年入門組)
前回は昭和四十九年の同期生を紹介しましたが、今回はその十三年後の昭和六十二年の入門者を
ちょっと紹介。
・桂  枝曾丸(本名 山本通弘。五代目桂文枝師匠に入門し、小茶久。昨年、枝曾丸を襲名。
        和歌山県出身で、ほのぼのとした芸と顔である)
・桂  團 朝(本名 井上孝司。三代目桂米朝師匠に入門。趣味は大衆芸能鑑賞。
        師匠直伝のきっちりした上方落語は絶品)
・桂  福 若(本名 黒川清澄。四代目桂福團治師匠に入門。父は師匠の桂福團治師匠で、
        母は声帯模写の緑みち代と芸能一家である)
・桂  文 時(本名 時枝伸幸。桂文珍師匠に入門。森田健作ばりの顔で女性ファンも多い。
        落語の方も師匠譲りの切れ味は最高)
・露の 吉 次(本名 高橋竜二。二代目露の五郎師匠に入門。趣味の野球もほどほどに落語道
         邁進中。兄弟子の団六師とは名コンビである)
 一年目「おかーちゃん、鳩がなんか(会場から「フーン」)落としたで」笑いながら『ふーん』・・・。あのね皆さん、先に言わんように」二年目「おかーちゃん、パンツ破れた」「またか」三年目「おかーちゃん、むこうから坊さん来たで」「そう」・・・。こんな小噺を紹介して本題の『犬の目』へ。
 随所に文珍師匠の演出を感じて、師匠のこの噺を聴いてみた(入門四年目・昭和四十七年十二月二十四日放送・上方FM寄席)が、当たり前のはなしであるが、実に良く似ている。
前座らしくきっちりと演じて、お後と交代。

 桂米平師、巨体を揺すって高座へ登場。さっそく、骨董ブームの師匠直伝のマクラを三つふって、さらに、知ったかぶりの失敗談を紹介し、『猫の茶碗』の一席。この噺。「アッ」というようなサゲであるが、米平師の語る田舎のおやじと大阪の商人とも、ピッタリで、ほのぼのとした雰囲気で噺は進んでサゲとなった。いつもより、やや早いペースで三つ目へ。

 三つ目は、出番が変わって漫才・はな寛太・いま寛大の登場となる。実は当初、中入りカブリであったが急な仕事が入った。「ハーバーランドで余興が入りましてん。出番変わってもらえまっか?」との問い合わせに三つ目の登場となったのである。
登場するや、会場をグッツと自分の世界へ引き込む。なにげない世間話であるのに、これが実に面白い。会場は爆笑につぐ爆笑。キャリア三十年の両コンビは、満員(席)のお客様を前に実力発揮というところか。実に楽しそうに会話が進む。
 芸名を色々な人に考えてもらった話題。二人の名付け親は故藤山寛美先生だが、もう一つ候補があった。「はな寛天・いま寛ぴょう」。
 そして次々と友達が考えた芸名が出てくる。「はなタイヤ・いまチューブ」自転車屋(パンクしそう)「はな刑事・いま犯人」兵庫県警。「はな糖尿病・いま肝硬変」お医者。「はな咲いた・いま散った」花屋さん「はな位牌・いまお骨」。お坊さんと続き、変わった芸名で「はな平天・いまごぼ天」・・・・・やはり、今の芸名が一番と締めくくり、自分の楽しみ、言われて嬉しい言葉、一生忘れられない言葉と話題が爆笑のうちに進められて、お後と交代となる。

 * 落語ミニ情報・其の二(恋雅亭へ出演された漫才コンビ)
当席へは数多くの漫才コンビが御出演いただいておりますので、回をおって紹介いたします。
 ・ 昭和五十四年十月 第 19回公演   人生幸朗・生恵幸子
 ・ 昭和五十六年一月 第 34回公演   夢路いとし・喜味こいし
 ・ 昭和五十六年五月 第 38回公演   人生幸朗・生恵幸子
 ・ 昭和六十三年十月 第127回公演   夢路いとし・喜味こいし
 ・ 平成  元年十一月 第139回公演    酒井くにお・酒井とおる
 ・ 平成   三年 九月 染丸襲名披露公演  酒井くにお・酒井とおる
 ・ 平成  四年  五月 第169回公演    はな寛太・いま寛大
 ・ 平成  八年  二月 第210回公演    夢路いとし・喜味こいし
 ・ 平成  九年  一月 第221回公演    上方柳次・上方一枝
 ・ 平成  九年十二月 第232回公演    酒井くにお・酒井とおる
 ・ 平成十一年  三月 第247回公演    はな寛太・いま寛大
 上方漫才界のそうそうたるメンバーの顔が並ぶ。

 中トリは、今回で二度目の出演となる立花家千橘師匠が登場。千橘師匠は昭和四十一年、二代目桂小春団治師匠(現、露の五郎師匠)に入門し、桂団丸。師匠の、露の五郎襲名を契機に露の団丸と改名し、平成四年、四代目立花家千橘を襲名している。
 師匠譲りの『薮入り』の出囃子でゆっくり登場した師匠。マクラを振らず本題へ。当席では比較的珍しい『一文笛』。この噺は、人間国宝、桂米朝師匠の自作として有名であるが、開席五周年記念公演で、故桂春蝶師匠が、そして、五代目林家小染襲名披露公演で、桂ざこば師匠が演じられているだけで、今回で三度目である。
 いかにも上方の噺家らしい千橘師匠が演じるこの噺は、昔の大阪の風情を感じさせる。落語に対する取り組み姿勢も真面目な師匠は、米朝師匠直伝のこの噺を、教えられた通りにキッチリと演じられ、中入りとなった。

 中入りの時間で起こった楽屋裏話を紹介。
文珍師 「頼むわ。今日は『寝床』演(や)ってな」
仁福師 「えー、ここでは、前に演ってまっせ」
文珍師 「そうか・・・。だいぶ前やろ、頼むわ」
仁福師 「・・・着替えてきますわ」
  着替え終わって舞台のソデに来た仁福師に、文珍師匠が一言。
文珍師 「ネタ帳に『寝床』て書いといたで」  チャンチャン。

 出囃子がなって、拍手で笑福亭仁福師が高座へ登場。「ありがとうございます。引き続きまして私の方の落語で楽しんでいただくわけでございますが、この後は文珍にいさんの方がタップリと落語をおしゃべりになりますので、私のほうもあんまりタップリと演ると時間のほうの関係もございますので、ほんの少々だけ演らさせて頂きます」。
 袖にドッカと座った文珍師匠が「タップリと演って下さい」と声を掛ける。
「え、 いやいや、(場内は文珍師匠の声が聞こえて大爆笑)タップリと演りたいんでございますが、お忙しい方でございますので、もうあっち飛んだり、こっち飛んだり・・・・」再度、袖から文珍師匠が「タップリ」と声が掛かる。それに応えて仁福師「いやいや、そう言われると本当に辛いんでございまが、本来、わたいもタップリ演りたいんでございますが、タップリ演るほどの力がございませんので、えー、チャップリぐらいでございますので・・・、久しぶりの出番でございまして、喜んでいるような訳でございまして・・・」と嬉しそうに答える。
 「落語会は全員で演じる一つの芝居である」を思わせるシーンであった。
仁福流の爆笑マクラが始まる。これが、実におかしい。会場からは笑いを堪えるような笑いが随所で起こる。
 そして、本題は予定通りの?『寝床』。その『寝床』といえば、小生は四人の噺家を思い浮かべるのだが、全然違う仁福師匠の寝床、今日はサゲまで演じられた。

 * 落語ミニ情報・其の三(『寝床』恋雅亭での仁福師匠と四師匠)
・恋雅亭では、仁福師匠は『寝床』を過去五回演じられている。
 ・ 昭和六十一年六月 第  99回公演。   ・ 昭和六十三年九月 第126回公演。
 ・ 平成五年五月    第181回公演。  ・ 平成八年五月       第213回公演。
 ・ 平成十一年三月   第247回公演。
 このように、十八番といえる演題ではないだろうか。
・『寝床』といえば東西で演じられる非常に有名な噺であるので、多くの演じ手がいる。小生のライブラリーも延べ九十三席を数える。その中で四師匠といえば、上方では三・四代目染丸師匠と桂枝雀師匠。三代目染丸師匠(昭和四十三年死去)は御自身も浄瑠璃が好きであったので、あの声と顔での名演が思い出される。もっとも御存じない方も多いので、現在では当代染丸師匠でそのイメージをご想像願いたい。当代は非常にネタ数の多い師匠であるが、ことこの『寝床』に関しては先代そのままである(小生はそう感じる)
 上方のもう一人は桂枝雀師匠ではないだろうか? 小生が初めて師匠からこの噺を聴いたのは枝雀師匠がまだ小米時代の昭和四十七年の第四十七回ABC上方落語を聞く会。枝雀襲名以降も師匠の十八番として、数多く演じられているので、お聴きになった方も多いと思う。小生の手元には七種類のテープが残っている。
 さて、東京ではと考えると、これは迷うことなく故八代目桂文楽師匠であろう。「黒門町の師匠」として昭和の名人であるので、ここで小生が書くことはない?。しかし、間違いなく東京では『寝床』といえば、文楽師匠であろう。
 マクラの時のクスクス笑いが、爆笑に変わってトリの文珍師匠と交代する。お客様も演者も大満足の
『寝床』であった。

 出囃子の『円馬囃子』が鳴って、本日のトリ、桂文珍師匠が満員の会場からの万雷の拍手に迎えられての登場となる。高座に座って一礼し、しゃべりだそうとするが、拍手がなりやまない。しばらく待って仁福師の話題からスタート。「ありがとうございます。・・・もう仁福さんのォーーーーー『寝床』はァーーー、もう本当にィーーー地噺にィーー近いネタでェーー、あんな丁稚初めて見ましたなァーーー。あの人ならではの、面白味があるんですわ。えぇー私は、前から面白い人や思うんですが、世間はまだ認めていない。へへ、これぐらいの坪数の時に上手い事、笑いをとる人でございまして、あんまり広いこと連れて行くとあかんのです。非常に面白い味をしてはりましてましてな、なんか困ってはるのが、絵になる人でんな。ああいう人は、なんか、こう、本当に、もっと、んんん、なんか、そのォーーーーえらい目に会わしてやりたい。病院で寝てたら針で突いたるようなことしてね・・・・・。」と最愛の仁福師を紹介。この間、会場は共感の笑いが絶えない。
 そして、老後への接し方、落語界から文楽・志ん生の両師匠や、鈴木その子さんの話題まで登場して、マクラで大いに会場の笑いを誘う。
 本日の演題は『宿屋仇』。師匠直伝の上方落語の大物、東京でも『宿屋の仇討ち』として、東西共に演じ手の多い噺であるが、カットする場面がないので、どうしても三十分近くかかり骨の折れる噺である。その『宿屋仇』を「夜前は泉州岸の浜、岡部美濃守様のご城下、なにわ屋と言える・・・」から「いやー、許せ、ああ申さんと今晩も寝る事が出来ん」迄、キッチリと三十八分。
 文珍師匠は、満席のお客様と一体になって乗り乗りで、名演でハネとなった。
 しかし、打ち出しの太鼓が鳴り出しているのに、まだ、拍手が鳴り止まない。大満足のお客様は、お帰りにならないので、文珍師匠「私、ここ(高座)で皆さんお送りします」と言って、全員のお客様をお見送りされていた。 満席、満足の三月公演であった。       (三月十日・叶大入)

・・・ *落語ミニ情報・其の四三(恋雅亭での文珍師匠)・・・
 これで、文珍師匠が当席で演じられた演題は、
   ・ 平成十一年 三月 第247公演 『宿屋仇』
   ・ 平成  十年 一月 第233回公演 『七段目』
   ・ 平成  九年 五月 第225回公演 『らくだ』
   ・ 平成  八年 六月 第214回公演 『天狗裁き』
   ・ 平成  七年 一月 第201回公演 『幇間腹』 と古典の大ネタが並ぶ。
 その前を振り返ると、創作落語がズラリと並ぶ。
   ・ 第189回公演 『ここほれワンワン』            ・ 第180回公演 『親子酒』
   ・ 第121回公演 『大相撲インニューヨーク』  ・ 第111回公演 『TURU(鶴)』
   ・ 第103回公演 『たまごのたまご』               ・ 第100回公演 『悪魔のアイスクリーム』
   ・ 第 94回公演 『ヤッチャンの純情』           ・ 第 85回公演 『ヘイ・マスター』
   ・ 第 61回公演 『ヤッチャンの純情』           ・ 第 50回公演 『ヘイ・マスター』
   ・ 第 40回公演 『THE・FAME』
当席の二百回が師匠の創作から古典への切り替え時期と一致しているのは単なる偶然か?
そう考えてしまう当席への師匠の愛情を感じる。