「笑いに恋して もとまち寄席物語」 (下) 平成15年8月 
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「笑いに恋して もとまち寄席物語」
                       神戸新聞の記事より
下.同人会 (2003/08/08)
ボランディアで興行継続

演芸プロモーターの楠本喬章が亡くなり、「恋雅亭」は存亡の危機を迎えた。

元町の地域寄席の灯が消える―。楠本と親交のあった落語ファンらが集った。会社員、主婦、医者。ボランティアで同人会を立ち上げた。

出演依頼を受けた桂春団治の言葉がメンバーを奮い立たせた。「みなさんが支える大事な寄席。声を掛けてもらえる限り、高座に上がらせていただきます」

一九九四年十二月。同人会は、楠本の死を乗り越えて二百回の記念興行を無事に終えた。

代表の吉村高也(50)は言う。「ギャラがいいわけではない。落語家のみなさんは『気』で出てくれる」

年が明けた。九五年一月十七日。神戸を阪神・淡路大震災が見舞った。幸い恋雅亭が開かれる神戸の地階ホールは、水浸しになるだけで済んだ。だが、同人会のメンバーは全員が被災。「もうええんちゃうか」の声も上がった。

そんな時、神戸本店支配人の細井昭宏から吉村に連絡が入った。「商店街を歩く人から、『恋雅亭はまだ開かないの』という声を聞いた」。同人会が再び動きだした。

恋雅亭再開。その年の六月のことだった。地元出身の桂あやめらが出演した。

あやめは開口一番、リュック姿で詰めかけた客を見渡してこう言った。「なんや、ここは避難所かいな」。会場がどっと沸いた。

同人会の草尾望(46)は、この時の客の言葉が忘れられない。「自分でお金を払って心の底から笑い、ようやく神戸の復興を実感できた。ありがとう」

現在、関西の地域寄席は二百を超す。だが、一門に偏らず、ベテランと若手が真剣勝負を繰り広げる寄席はほかにない。

上方落語協会会長の桂三枝が言った。

「恋雅亭には落語を楽しもうという雰囲気があり、噺(はなし)家をヤル気にさせる」。楠本に育てられた目の肥えた客が、高座に緊張感をもたらす。

「銭もうけやない。落語のファンを増やしたいんや」。楠本が六代目笑福亭松鶴を口説いて二十五年。恋雅亭は九日、三百回の記念興行を打つ。

元町商店街にある地域寄席。赤いちょうちんは灯(とも)り続ける。
(敬称略)

(この連載は伊藤亜紀子が担当しました)